Diary 2009. 2
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2月3日 (火)  高い方がいいの?安い方がいいの?

 かんぽの宿全施設がオリックスに100億円ほどで売ってしまうという事態に「NO」を突きつけた鳩山弟大臣。
 そりゃ当たり前だと言えるが、オリックスが同施設の運営を、国民の財産を激安に購入したので「内容はそのままで国内最低価格の宿にします」と実行できれば話は別だと思う。
 (そんなことありえないと思うが)

 そんな中、かつての高級旅館や高級ホテルが、一泊二食で1万円以下という破格値でプランを組みだした。
 その裏には相当な経営悪化状態があるのだろう。

 自分が宿(主に旅館)を選ぶとき、最初に気にするのは経営者の気質で、次に風呂や施設の内容、料理、景観や風情と考える。
 最近ではネットの書き込み情報なども参考にしている。

 しかし宿サイドに聞くと、見栄えと値段だけで決めるお客が多いと聞く。
 つまり、安ければ入るお客と、高ければ高いほど泊まりたがるお客とに分かれているというのだ。
 
 人の本質かどうかは知らないが、あちらこちらと方々へ旅する「悦」と、高い金を払ったという「悦」が、どうやらあるらしい。
 しかも高級な処に泊まったときは宿名を言い、安宿に泊まったときは地名を言うといった、「見栄」を張る人も少なくない。

 空間や時間に浸りたいのか、優越感に浸りたいのか、そのどちらも望むのか、人とはやや浅ましく悲しいものだ。


2月8日 (日)  針供養


今日は蒟蒻などに使い古しの針を刺し、淡島神社などに納める「針供養の日」らしいが、現代は針が貴重でもなくなり、使い捨ての時代。
だから供養しきれないほどの量の針が出回っていると思う。
戦時中、出兵する兵士に無事を祈る意味で持たせた「千人針」なんてあっと言う間に出来るだろう。

僕の母親などの世代は、学業よりも「お針」といって、和裁や洋裁を習いに行く方が女性には必要なことだったらしい。
子どもがズボンや服を破って帰っても、ちょちょいのちょいと、継ぎ当てなどをして直していた。
ウールの毛糸を買って来て、子どものカーディガンなんかも半月ほどで編み上げていた。

現代では考えられないくらい物を大切にしていた頃の針は、大量生産ではなく一本一本針師が作っていたのだ。
だから少し先の尖りが丸くなると、髪の毛に当て、頭の脂を少しつけながら滑りをよくして縫い物をしていた。

食べ物も捨てるほどある今の時代からは、考えられないくらい「始末」をしていた頃の知恵や根気で、これからの物事に対応することが、現代にも繰り返し必要になっているような気がする。


2月12日 (木)  マンガもユニセックス時代


最近テレビの深夜番組に「アニメ」が増えている。
何年も前からラジオ関西では、声優などを絡めた、アニメラジオ番組が深夜で全国ネットになるなど、現在のアニメには根強いファン層が増えているようだが、アニメと言っても深夜放送なので、どうやら子ども達が見ている訳では無さそうだ。

スポーツマンガのキャプテン翼が、現在のサッカー世界代表選手たちを虜にしたように、日本のアニメが海外へ流出し大きな評価と影響を及ぼしているのは言うまでもない。

僕も子どもの頃はアニメやマンガが大好きで、挿入歌など当時を思い出して歌うこともあるくらいだが、ガンダム辺りからは殆ど見たことが無い。

しかし、そのガンダムやエヴァンゲリオン世代からアニメは大きく変わった。

秋葉原や日本橋で、アニメ声優(主に女性)がイベントに参加をすると、多くの成人男性が集まる。
その彼らが、今のアニメを支えているのだろう。

「子どものまま大人になった」と表現すればいいのか、趣味が「突起している」と言えばいいのかは分からないが、アダルトではないドラマ仕立てで成人向けのアニメの手法や画法は、昔の少年少女向けマンガほど絵に差は無く、性別が中性っぽいキャラクターが登場人物に多い。

日本人特有の、「男性は青や黒」「女性は赤やピンク」といった色分けが、衣料業界やその他に無くなってきたように、性的な感覚が今と昔では違ってきた。

よって、今のアニメには、またまた「新分野」といえるものが現れたのだと思う。

そういえば人間のアイドルたちもそうだ。


2月17日 (火)  神戸紀行4

「善九郎工房」の作品で、神戸の古いビルや街並みを水彩画で描いたものが、「神戸の残り香」(切り絵師\成田一徹著)などと同じく、現存するモノも含めて、多くの神戸をセレクトした作品が密かに人気している。

そういった切り絵や水彩画で表現できる神戸もあれば、現地でしか体感できない「神戸気質」に触れるのも紀行の良いところだ。

毎回述べているように、神戸人の「気さくでありながら用意周到な性格」も大きな特徴である。

人口150万人の政令指定都市であるが故に、様々な世界のブランド商品や有名店の進出は、ほぼクリアしているが、ハードロックカフェなどの退店が示すように、流行には敏感で、大したことが無ければ廃るのも早い街である。

あのユニクロでさえ神戸三宮に出店するときには「特別な緊張感がある」と会見で言っているし、神戸が本拠地だったダイエーも、産業再生が導入される以前に、かなり縮小せざるを得なかったほどだ。

神戸という街は、キャパシティが元々狭く、神戸人には「過疎化も都会化も嫌う」資質があるのだ。
簡単に言うと、「不便なのも嫌、騒々しいのも嫌」といった、上限下限のはっきりしたところがある。

だからこそ、馴染めば住み易く、斜に構えてなかなか出さない本質も、人と人との付き合いを大切に考えるが故のことで、慣れれば人情味の溢れる環境がある街なのだ。

田舎町でもなく、大都会にもならない、あくまでも質で選ぶ「狭いゾーン」に固執する気質が、今日の神戸をつくり上げているのだと思う。

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2月19日 (木)  死の尊厳

今週、久しぶりに耕笑園のてっちゃんと知人のお通夜に山崎(やまさき)まで出かけた。

日中は春一番が吹く日だったが、寒の戻りか気温は0度を下回る寒さで雪が舞っていた。

故人が45歳と、まだまだ若い盛りの惜しまれる死とあって、山崎町で最も大きいメモリアルホールでも弔問客が全く入りきれずに、殆どの者が降雪の屋外で経を聞く通夜の弔いとなった。

僕が救われたのは故人との交流が割合と浅く、直接の知り合いではないため、喪に服しつつも悲しみに伏せることはなかった。

しかし、弔問客の数百名がホールの外で待機していたため、何処かしこで雑談の声が聞こえたり、中には笑い声も混じっていたため「付き合いだけで来ている通夜や告別式には必ず、こんな非常識な奴らが居る、失礼なことや」と、並んでるいる最中についと口からこぼれてしまった。

その後、故人の地元仲間が集まり、別れの酒を酌み交わす「忍ぶ会」のようなところまで僕も居たのだが、「大崎組」という建設関連の会社を父から受け継いだ故人の、人柄の良さや責任感の強さが語られていた。

前説で述べた通り故人と僕の関係は薄いのだが、3〜4年前に僕自身の周囲で、母や身内や懇意にしていた知人が、続くように他界し、辛さを乗り越えるのがやっとだったときがあったことを思い出してしまい、その日は眠れぬ夜を過ごしてしまった。


2月24日 (火)  納棺師?


今回、米アカデミー賞の一部門を受賞した「おくりびと」。

人の死後から、通夜、告別式を経て、斎場(火葬場)や土葬などで葬るまで遺体を入れておくものとして、棺桶(かんおけ)が一番多く用いられるが、その棺(ひつぎ)に遺体を入れる「納棺師」という専門職があるのを初めて知った。
自分では葬儀に詳しい方だと思っていたが取り分けて、納棺師という人には出会ったことがない。

現行では、自宅で亡くなっても病院で亡くなっても、医師の死亡診断書が作られ(多くは仏式だから)まず、自宅か或いは通夜の予定される場所へ遺体を移動する。
葬儀屋などがやって来て、いきなり棺桶で運ぶこともあるが、殆どは布団を被せ担架で運ばれる。

死に顔が崩れている場合も少なからずあり、納棺師ではなく、病院の看護師や遺族、葬儀屋がその場でわりと簡単に死者の顔や姿を整えるのが多い。

自宅や式場へ運ばれたら、死に装束を着せ、僧侶が呼ばれ「枕経」を唱える。
その着替えや、死に化粧を施し、遺体の周りにドライアイスなどを置く作業をする者が納棺師と呼ばれるのだろうか?
とすれば、納棺は複数名で行うことが多い。


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