2月19日 (木)  死の尊厳

今週、久しぶりに耕笑園のてっちゃんと知人のお通夜に山崎(やまさき)まで出かけた。

日中は春一番が吹く日だったが、寒の戻りか気温は0度を下回る寒さで雪が舞っていた。

故人が45歳と、まだまだ若い盛りの惜しまれる死とあって、山崎町で最も大きいメモリアルホールでも弔問客が全く入りきれずに、殆どの者が降雪の屋外で経を聞く通夜の弔いとなった。

僕が救われたのは故人との交流が割合と浅く、直接の知り合いではないため、喪に服しつつも悲しみに伏せることはなかった。

しかし、弔問客の数百名がホールの外で待機していたため、何処かしこで雑談の声が聞こえたり、中には笑い声も混じっていたため「付き合いだけで来ている通夜や告別式には必ず、こんな非常識な奴らが居る、失礼なことや」と、並んでるいる最中についと口からこぼれてしまった。

その後、故人の地元仲間が集まり、別れの酒を酌み交わす「忍ぶ会」のようなところまで僕も居たのだが、「大崎組」という建設関連の会社を父から受け継いだ故人の、人柄の良さや責任感の強さが語られていた。

前説で述べた通り故人と僕の関係は薄いのだが、3〜4年前に僕自身の周囲で、母や身内や懇意にしていた知人が、続くように他界し、辛さを乗り越えるのがやっとだったときがあったことを思い出してしまい、その日は眠れぬ夜を過ごしてしまった。