Diary 2009. 1
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1月1日 (木)  日本のしきたり?

計画は早めにたてよという戒めの「一年の計は春にあり」という言葉が「元旦」に変わったほど、日本人は年の始めを大切なものと考えてきた。

年の始めに起きた出来事が「その年には度重なる」といった慣例を文化に暮らしている。(もちろん迷信だが)

「事初め」「姫初め」「書き初め」というふうに、殆どの人が、年の始めにする事や出来事を「○○はじめ」と称している。

そんな慣例を知らない子供の頃、兄弟で喧嘩なんかをしていると、叔父さんや伯母さんに「正月は怒っちゃだめだめ」と、なだめられたものだ。

迷信とは言え、自分が大人になった今でも、正月の三が日くらいは「悪いことが起きないように」と思いながら過ごしてしまうのは、仕方のないことなのだろう。

年の瀬をバタバタと終え、節会料理を造り、大晦日をじっくり過ごし、その年の神様を迎える新年を祝い、初詣の参拝で願を掛け、出逢う知人と「明けまして」の挨拶を交わす、日本ならではの「厳かな祭り」が「お正月」なのだ。

羽子板でのはねつきもオグシオのバドミントンに変わり、凧上げもゲイラカイトになり、独楽を回す子供たちも見かけなくなった。
晴れ着姿などの和装も少なく、門松や注連飾りを飾る家も日の丸の国旗もめっきりと減ってしまった。

いつ頃かまた息を吹き返したように、そんな風習は戻ってくるのだろうか?

(西洋文化のクリスマスが日本にも定着し、イルミネーションなどで家を飾る方が多くなったのが原因だろうなぁ)


1月5日 (月)  教育と慣例と義理


僕は実家で、こう教わった。
「人は呼び捨てにせず、敬称をつけなさい」と。

特に母親には何度も注意されたし、他の者にもそのことを母は強調して言っていた。

僕の女友達で、小学校時代からの同級生なので、当然のようにニックネームや名前で呼んでいた女の子が、
たまたま僕の親戚で年上の従兄弟に嫁いだ。

「親戚にもなるし、年上のお兄さんの奥さんにだから、これからは○○姉さんと呼びなさい」という風に、「切り替えることが大切だ」ということを母は言っていた。

当然これは、我が家だけの常識であって、世の中では自分の祖母を「おばあちゃん」とは呼ばず、「○○ちゃん」などと友達のように呼んでいる家族もいるし、姉妹兄弟が全員、呼び捨てで会話している家族もある。

西洋なら年齢の上下関係なく、名前で呼び合うのだろうが、日本の常識、しきたりは、そうではない。

序列を重んじる日本のしきたりが、やや傾きつつある現代に警鐘を鳴らす意味で、何でもかんでも「なぁなぁ」の付き合いが多くなり過ぎて、「フランクな付き合い」というより、示しのつかない世の中になってしまっているのではないかと思う。

(新年早々堅っ苦しい話で恐縮ですが、今年も宜しくお願いします)


1月9日 (金)  安うて、ええもん、ちょっとだけ!

「衣食住」に大切な言葉である。

人間は生きていくのに、眠ることや食べることが必要不可欠だが、食事も睡眠も一度に貯めることは出来ないので、毎日気持ちよく消費するのが望ましい。

高価でも粗悪なものは多く、旨いものでも食べ過ぎはよくない。

また、良い寝具や衣類も自分に合っていなければマイナスだ。

仕事のカテゴリーが格好良くても、やってる内容が大したことなければ逆に格好悪い。

安くて良いものを少しづつ摂取することは、人が幸せに生きていくのに大事なスローガンだ。


1月10日 (土)  大手企業優先の政策は失敗


政治はどうして大手優先に動くのだろうか?

「税収」「財源」といえばそれまでだが、大手スーパーや金融機関には比較的素早く「援助」がなされる。

一方、小企業や小売店や主婦たちが困っても「救いの手」を差し伸べるのは、ずっと後回しになるか、見てみない振りをされてしまう。
違う言い方をすれば「無視」に近い。

政府からすれば、小売業者や主婦は「あまり税金の取れない存在」で、増えると税収が減って困るから、無くなって欲しいのだろう。

がしかしやでぇ、
その考え方はやっぱり間違いや!
大企業の物も大手スーパーの物も、消費するんは「その他多くの国民」やがな。
その平民を放ったらかして、国が成り立つ訳ないやろ。
政府や地方自治体は、目先の欲に目が眩みすぎや。

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1月11日 (日)  正月の行事


松の内は7日、鏡開きは11日、成人の日は第二月曜と、お正月の行事には地域差や法令などで少しづつ日が違っているものがある。

関西では松の内を15日として門松をはずし、注連飾りを焼いたりするが、鏡開きは20日だった。
(鏡開きを4日頃に行う地域もある)

鏡開きは、橙を乗せ段重ねにして飾っていた餅を割って食す行事で、「鏡」は鏡台の前に置いたことから名付いたといわれる。

日本には「数え年」というものがあり、元号が0年から始まらず、初年度を1年と数えるため、人の年齢も生まれた年を1歳と数え、毎年の年明けごとに1歳づつ増えるもの。

ちなみに1961年生まれの僕は、満47歳だが、数え年では今年で49歳を迎えたことになる。


1月15日 (木)  震災チャリティーといえば

有名な人は少ないが、有能な人はたくさんいる。

僕のような人生を送っていると有名人に接することも多々あるが、出逢って「良かった」と思える人は少なかった。

自慢になるが、僕の仕事上、その有名人たちを見ようと集まってくれるお客さんを喜ばせることが一番の目的なので、有名人になればなるほど「高額な商品を扱う」といった意味で気を使うだけであった。
だから芸能人に会えるからとワクワク、ドキドキしながら局や会場に入ったこともない。
ただ、「この人に遭えて良かった」と思った人は何人かいた。

その中の一人(一組)に「勝新太郎、中村玉緒夫妻」がいる。
世間的には「無法者」として賑わせた勝新太郎だが、その破天荒な人柄に隠された「芸能人生」があった。

勝はデビュー当時から「座頭市」などで銀幕スター街道まっしぐら、同じく日活のスター石原裕次郎と私生活で懇意にしていたのは誰もが認める仲。
勝と裕次郎の二人が高級外車で東京の街をカーチェイスしたなどは有名な話だ。

昭和30年代、勝が神戸に来てヤクザが開帳する本引きの賭場で、当時300万円程の負けを残したことがあった。
いくらスターで有名人だからといっても、そこは本職の極道たち、ツケをそのままにして勝を帰す訳にはいかない。
勝本人に借金のカタを置いて帰るよう迫った。

そこで勝は自分の経営する会社の約束手形を切ったのだが、浮き沈みの激しい芸能プロダクションの銀行手形一枚では信用ならずと、他者の裏書き(保証人)を求めた。
その時、勝がその場で裕次郎に電話して裏書人を頼み、それを裕次郎が承諾。
勝は自分の手形を、横浜まで裕次郎の裏書きのサインをもらいに使者をとんぼ返りさせ、事なきを得たというエピソードがある。

振出人が勝新太郎で、石原裕次郎が裏書人の約束手形がもしも現存したなら、さぞ「お宝」になることだろう。

一方、映画「悪名」の名コンビで大映の一時代を築いた、田宮二郎とも「豪遊」を張り合う仲だった。
金に糸目はつけない二人の豪遊振りの逸話も数多く、多大なマイナスを残し、当時「栄華」から脱却出来ずに、田宮二郎はライフル自殺、勝プロは倒産に追い込まれた。

そりゃそうだ、なんせ勝は毎日12時で消灯する東京タワーを見て、妻の中村玉緒に「暗くなってみんなが寂しいから、東京タワーの灯りを点けときなさい」とマジで言うぐらい、世間には無頓着なのだから。

そんな勝新太郎夫妻と僕は、勝新太郎が亡くなる1年前に開いた、ワールド記念ホールの震災チャリティーイベントの現場で会ったのだが、
勝は「自分が癌に冒されている」との発表を控え、付き人に支えられながらリハーサルをこなすという、フラフラの状態でいたにも関わらず、落ち着いた優しい振る舞いを現場のスタッフだった僕らに見せていた。
今考えると、あのとき労るようにずっと夫に付き添っていた玉緒夫人の姿は「おしどり夫婦」というだけではなく、勝の病気を庇ってのことっだったのだろう。

その玉緒夫人が、他の出演関係者への挨拶に追われ、「ちょっとだけよろしいでしょうか?」と勝の付き添いを離れるため、僕に頼みの言葉を告げた。
もちろん何も知らない僕は「どうぞ」と(当たり前だが)交代した。

お付きの者も全員腹ごしらえに行って、勝新太郎一人の控え室の前に僕は居た。
その時部屋の中から「おーい玉緒」と妻を呼ぶ勝の声が聞こえてきた。
僕がノックして控え室に入り「玉緒さんは今、森繁さんのところへ行ってます」と告げると、どこか寂しげだったが、にっこりとまるで人を包み込むような笑顔の勝新太郎が鏡の前に座っていた。
シワになるせいかズボンは履かず、白のタキシードの上着姿でメイクを整えていた勝は僕に「すまないがパンか何か食べる物がないかな?」と言った。
テーブルの上を見ると弁当の折りに手はつけてなかったが、今から考えると癌闘病中の身だ、食欲が無かったのも無理はないだろう。
「分かりました、すぐに用意します」と応えた僕に、またにっこりと笑顔で少し恥ずかしそうに頷いてくれた。

丁度僕が部屋を出たとき、玉緒さんが「すみませんでした」と帰ってきたので、「勝さんがパンを食べたいとおっしゃってたので、誰かに買いに行かせますが何がよろしいでしょう?」と聞くと、「メロンパンか何かあればお願いします」と丁寧に首を傾げながらこれまた夫に負けず劣らずの笑顔で言った。
(このとき僕はこの夫婦の「役」ではない、中からにじみ出る人柄の良さを感じた)

この後も色々とあったのだが、こういう舞台裏の話はこの辺にしておこう。


1月18日 (日)  エコムしてますか?


 各国政府の代表が口々にする「エコ対策」というキーワード。

 大空を利用する航空機の殆どがジェット燃料で飛んでいる。

 軍を持つ国々は、何故かあり得ぬ空中戦(核実験やミサイルも含め)を想定しての飛行訓練に、戦闘機や輸送機などを駆り出して日夜演習をしている。
 日本でも偵察、防衛目的なのか、陸海空とも日々戦闘機を駆り出している。

(実際、未だに殺人目的の空爆が悲しいかな行われている)

赤字路線で無駄とも言える「空港」を持つ自治体は、全く当ての無い増便を企てるあまり「滑走路を延ばせ増やせ」で、更に空港を作ろうとしているのが、どう考えても「エコ対策」とは矛盾している。

「有機ELDだから」と言いながらも白熱灯を紛れ込ませ、「ライトアップ」なる都市の演出に余念がない自治体も多い。

消費を押さえたいのか、儲かるならそれも無視するのか、一体どっちなんだ?と問いたい。

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1月21日 (水)  株価を意識するな!

(朝から米大統領就任の報道が多いので次いでにですが)

オバマ大統領の就任に先行して「アメリカの平均株価は下がった」ということが伝えられたが、アメリカでも日本でも同様で、平均株価を経済の値と約するのは考えものだと思う。

企業が不況、不況と言っても、元々株価が実際の中身より上がり過ぎているだけで、その幻影を投資家たちが作った、いわゆる「バブル」なのである。

日本全体のお金が消えた訳でもなく、格差社会がし示すように、在るところにはちゃっかりと在るのだから心配は無用。

日本は政府がお金を取り過ぎてるのと、お金の使い道を知らない者の手に溜まっているから「それを廻せば」またすぐに格差がなって富裕層が減り、現在困っている貧困な者も、裕福とまでは行かずとも、以前のように普通に暮らしていける日が来るのだ。

一日も早く誠実な政府にし、成金たちにお金を使わせることが出来れば、消費税なんて今すぐ上げることなく済ませられるのだ。

我々国民は、先ず無駄なものからどんどん排除して行こう。
国会で漢字を問う石井議員のようなものから・・
(民主党大丈夫かなぁ?)

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1月23日 (金)  ゴミ出しでわかる生活基準


 ゴミの分別は、まだまだ全国で統一されてない。
 けれど「燃えるゴミ」(可燃ゴミ、生ゴミ)の方は、だいたいの自治体で以前から月木か火金の「週二回」の収集が決まっている。

 ゴミ出しを「誰がするのしないの」でその家の違いがあり、舛添さんが大臣に任命されるってことでマスコミに囲まれたとき、たまたま持っていた生ゴミを「ゴミ出しは僕の担当ですよ」と言っている姿が全国で放送された。
 
 「男尊女卑」という習わしだけが残っていた日本では「一家の主がゴミ出しなんてやらない」という勝手な説があったが、それはゴミを出す暇もないほど、一家を支えるために働いてる主だけに言えることで、実際はゴミ出しなんてその時に一番向いている家族の誰かが出せばいいのだ。(現在ほとんどのまともな家庭がそうなっている)。
 「うちのゴミ当番は僕ですよ」なんて苦笑する「殿方」をたまに見かけるが、その人はどこか「嫁の尻に敷かれてる風」の昔の体裁が残っているからで、そんな話、今では逆に滑稽に見えてしまう。

 話を戻すと週二回の収集日には、一週間が7日なので、生ゴミを4日置いてる日と3日しか置かない日が出て来る。
 当然4日間置いている方がゴミの量が多くなりそうなものだが、いろいろ聞いてみるとそうでもないことが分かった。
 
 それは「外食の多い家庭」「スーパーでの買い物が多い家庭」「あまり分別しない家庭」によって違いがあり、さらに多くの家庭は土日が休みだが、土日に仕事が多い家庭ではその逆になる。
 平均、月曜火曜のゴミを多く出すのは土日休でスーパーの買い物が多い家庭。
 平均、木曜金曜に生ゴミが多く出る家庭は平日休で外食が多いという結果が出た。

 誰がゴミを出すか、いつ多く出すかでその家庭の環境が、自然に少しだけ出るものだ。


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