2月8日 (日)  針供養


今日は蒟蒻などに使い古しの針を刺し、淡島神社などに納める「針供養の日」らしいが、現代は針が貴重でもなくなり、使い捨ての時代。
だから供養しきれないほどの量の針が出回っていると思う。
戦時中、出兵する兵士に無事を祈る意味で持たせた「千人針」なんてあっと言う間に出来るだろう。

僕の母親などの世代は、学業よりも「お針」といって、和裁や洋裁を習いに行く方が女性には必要なことだったらしい。
子どもがズボンや服を破って帰っても、ちょちょいのちょいと、継ぎ当てなどをして直していた。
ウールの毛糸を買って来て、子どものカーディガンなんかも半月ほどで編み上げていた。

現代では考えられないくらい物を大切にしていた頃の針は、大量生産ではなく一本一本針師が作っていたのだ。
だから少し先の尖りが丸くなると、髪の毛に当て、頭の脂を少しつけながら滑りをよくして縫い物をしていた。

食べ物も捨てるほどある今の時代からは、考えられないくらい「始末」をしていた頃の知恵や根気で、これからの物事に対応することが、現代にも繰り返し必要になっているような気がする。