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10月3日 (土) 土人は死語?差別用語?
「どんぐりころころ」に出てくる「どじょう」を「土人(どじん)」と言った替え歌があった。
土人という言葉は、最近では滅多に耳にしなくなったが、死語になってしまったのか、差別用語なのかはわからないが、辞書には、土人は「先住民」「その地に土着している人々」などと書いてあり、代表的なものには「アイヌ」「インディアン」「アボリジニー」などがあるが、少数民族などを含め、国が出来る前からその地に暮らす者は世界各地に多くいる。
40年以上前、僕が子供の頃に絵本などに描かれていた土人は、鼻に小さな骨をアクセサリーのようにつけたアフリカの部族の人のようだった。 土人以外にも、「くろんぼ」という言葉も使わなくなった。
童話の「ちびくろサンボ」も一時期は差別用語として、放送禁止用語にした放送局や出版物も多かったが今はちびくろサンボに戻っている。
白人は、自分たち以外を有色人種と呼び、分け隔てしていたようだが、我々黄色人種と呼ばれる者から見れば、白黒黄色と全てが有色人種ではないのかと思う。
日本人が「黒ん坊」と呼ぶのは、何もアフリカの黒人だけではなく、インド人も同じように思っていたはずだ。 他にもタイやフィリピン、マレーシア、シンガポールなどの人も肌の色は薄いが、やや黒人に近い感覚は持っていた。 我々から見れば、白人も同じことで、ロシアやドイツの人の肌の色の違いも黒人と殆ど同じように捉えて来たのだから、それも完全な「差別」になるだろう。
ただ、肌の色の違いで人の優劣をつけないのが大きな違いだろう。
人の優劣といえば、江戸時代に身分の位を表すのに「士農工商、穢多、非人」と呼ばれていたが、士農工商の四民だけが階級として残り、穢多(えた)と非人(ひにん)はその後差別用語だとして使われなくなった。
武士が一番偉く、農民が次に位置付けされ、続く工商の職人や商人は町人(ちょうにん)だった。
その後、穢多と呼ばれていた者の中には、皮革産業や屠畜、死刑執行などに従事し、非人は乞食、犯罪者などの転落者を示すのに使われたそうだが、その地位から足を洗い、工商の地位までの復活も許されていたと辞書には記されている。
確かに、階級により人種差別することは良くないことだ。 身分の低い者ばかりが同じ地域で住まわざるを得なくなり、その結果、現在の同和地区と呼ばれる「部落(ぶらく)」が出来てしまった。
あまり外部の人間と交流のない部落民は、近親者間で結婚して子供を持つようになり、血縁の濃い子供が産まれたがために多くの弊害をもたらした。
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10月8日 (木) 「巨人大鵬玉子焼き」
「巨人大鵬玉子焼き」という語呂合わせが今から半世紀前に流行った、。 当時の子供が好きなもの3つを言葉にしたものらしい。
それよりも前から、恐いものを順にもじった「地震雷火事親父」というのもある。
地震の怖さは身を持って体験したが、今回のように台風や竜巻は入ってないとはいえ、かなりの被害を出した。
他にも、洪水や火山の噴火、時崩れといった天災(自然による災害)には、その規模が大きければ防ぎようが無いものが多くある。
地震、雷は確かに天災だが、火事には自然というより、人間が起こす方が多いだろう。
中でも「親父」による人災というものには、かなり「けしからん」ものが多い。 (本来の怖さとは違うが)
「寄らば大樹の陰」とか「虎の威を借る狐」のような生き方をしている者は、ろくでもない人間が多い。
しかし、そのことに気付いていない者が多いのも今の日本には困った問題だ。
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10月10日 (土) 「性同一性」などと複雑にすることはない!
10月8日付けの毎日新聞の「境界を生きる」で「性分化疾患」というものを取り上げた記事を読んだ。
「くらしナビ」というページで、帚木蓬生(ははきぎほうせい)氏に、著作の「インターセックス」(集英社)を出版した動機などを聞いたものだった。
帚木氏が唱える内容は、「世の中が男女の性別だけでは足りないのではないか?」「性別には第三の性がある」といった、性同一性障害や性分化疾患の存在を世間でもっと広く受け止める必要を伝えていた。
それを読んで、「なんと今頃気付いたのか?」と失礼ながらも感じた。
理由として、 そもそも、同性を好んだり成長にともなう異性化は、人類が誕生して集団で暮らし始めた頃からあったと考えるのが正論と思う。
それを性の疾患とか障害という位置づけをした医学的見地がよろしくない。
自分が子供の頃に「変なおっちゃんやお兄ちゃん」「変なおばちゃんやお姉ちゃん」と感じた人は少なからずいたし、年齢が増すに連れて「その傾向」は強くなったり目覚めたりするものだとも思った。
「オカマ」「おなべ」「ゲイ」「レズ」といった言い方で呼ばれるのは嬉しくないとも多く聞くが、彼らが言う「○○」と呼んで欲しいというのも、これまた千差万別で「ええ加減にしてくれ」というようなものが多く、それも勝手なエゴに感じる。
男性や女性の中でも趣向が別れているように、帚木の言う「第三の性」の中でも一括りには出来ないほどで、髭面の男同士が愛し合ったり、女三人が三角関係の恋愛のもつれでもめたりと、様々な形態が存在する。
同姓から「貴方のことが好き」と告白されて「なんや気色悪い」と感じるのも普通だし、異性でも嫌いなタイプやストーカー行為の被害はどこにでもある。
僕が言いたいのは、障害とか疾患などと思わず、オブラートに包んだような関わり方もやめて、世間の目を変えるように堂々と振る舞って欲しいということだ。
性別の分け方は、法律も変えて行かないとならないことは多くあるが、トイレや浴場に「第三」を作ったところで間に合わないほどの様々なタイプがあるのだし、現に男性女性同士でも「こんな奴の後や、一緒には入りたくない」というのも当然ある訳で、 お互いの認識を高めること、差別やごり押しはしないこと、迷惑にならないことといった常識的な取り組みが最重要課題なのだ。
取りあえずは、小学校の頃から各自に認識をさせること、各記帳の欄の「男・女」に、項目をもう2、3増やすところから始めてはどうか?
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10月13日 (火) ちょっと信じられない今回の民主党!
今月25日の神戸市長選に現職の市長が再立候補した。
今回は自民公明に断りを入れた矢田氏が民主党の推薦を受けたという報道があったのだが、なんでやねん!
いくら神戸市議会がオール与党化している(共産党以外)とはいえ、なんで民主党は推薦したのか?
現市長が任期中の神戸はどうなってるのか、鳩山総理はちゃんと知っての行動なのか?
民主党に「今回は推薦者なし」という選択はなかったのか?
民主党が推薦するからには、確たる指示があったのか?今の市政で良いと判断したのか?適当に決めたのか?
僕には神戸市政がこのままで良いとは考えられない。
どういう理由で推薦したのか、ぜひ民主党兵庫県連に聞きたいと思う。
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10月18日 (日) 阪神タイガースファン
(今年の阪神は終わったが)
「日本で一番メジャーなスポーツは?」と言えば、殆どの人が「野球かなぁ」と答えるぐらい、野球は国民的なモノになった。
その野球で「飯食っている」という人や「大好きだ」という人も、これまた一番多いはずだ。 推計すると国民の5人に1人が、何らかの形で野球と関わっているらしい。 すごい割合だと思う。
僕も野球が好きで、プロ野球といえば阪神を応援するうちの一人だが、長男次男とも当時のJリーグ人気でサッカーを選んだので、あまり親子でキャッチボールをする機会も無かったのが想像とは違ったが、長女が阪神ファンなのが救い。 「巨人の星っていうアニメがあるのに、なんで阪神の星みたいのが無いのん?」と嬉しいことも言う。
阪神と言えば、タレントの耕笑園てつやが「阪神優勝やー!」と叫ぶデイリースポーツ紙のテレビCMを4年もやっていたのに、それを無視か知らずか「阪神優勝」の四文字を登録商標に申請した人がいた。
またそれを特許庁が認可してしまい、阪神球団が権利を買うの買わないのという事態が起こったのだが、あれは完全に特許庁の認識不足が招いた騒動だった。
特許庁は「数ヶ月の公示をしている間、なんら異議申し立てが無かった」というが、そんな公示がどこであるのかさえ大半の国民は知らない。 僕もそんな文字が登録商標になることさえ不思議に思ったくらいで、まさに「特許庁の役人は血も涙も常識も無いのかよ!」と思った程だ。
僕が生まれて最初に知ったプロ野球選手は王、長島といったV9当時の巨人の有名選手たちだった。 (やはり巨人の星の影響が大きかったのだと思う)
その頃はまだ阪神、阪急、南海、近鉄といった地元球団をはっきり知らなかったからだ。
その後、小学生の高学年になって少しプロ野球も分かって来た頃、ジャイアンツに立ち向かう地元の阪神タイガースを見て、一気に阪神ファンの意気が自分の中に芽生えた。 それからというものは、甲子園に行っては阪神を応援するようになった。
近くで売っていた野球帽は巨人のロゴマーク入りが殆どで、阪神の帽子があまり売ってなく、阪神のロゴマークを別の黒い野球帽に自分で縫いつけてかぶっていた。 江夏、田淵が「黄金のバッテリー」と呼ばれ出した頃だ。
当時の甲子園の観客数は少なく、5年生の僕が一人で一年生の弟たちや従兄弟を連れて行って入れたくらいだ。
現在のようにヒッティングマーチも無く、応援団も少なく、専ら笛と太鼓で囃していたので、観客席からの声援が直接野手に届き、聞こえた選手が僕らに手を振って応えてくれたほどで、今よりもっと選手を近くに感じれて、よく声が枯れるまで叫んでいたのを思い出す。
応援のコールも野次そのもので、「ピッチャー交代!」とか「バッター交代!」と自軍にハッパをかけるようなものが多く、好プレーには拍手で迎えた。
実際に球場の阪神ファンが揃って声を合わせ出したのが、「7番サード掛布」のアナウンスに続いて、全くの自然発生のように起こった「掛布コール」が最初だったのも覚えている。
観客が一人二人とトランペットを持ち込み、スタンドのあちらこちらで「進軍ラッパ」を吹き鳴らし始めたのもその頃で、それが、現在の大声援のヒッティングマーチで甲子園を沸かす原点になったのだ。
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10月24日 (土) 政権交代で何が変わったか
今朝のウェークアップ!プラス(読売テレビ)に民主党の山口つよし議員が出ていた。
その山口さんの討論の相手は、石破茂議員に竹中平蔵氏というメンバー。
特徴のある論客の石破、竹中の両氏が縮んで見えるほど、山口さんの弁は堂々として、その名の通り「つよし!」と成ったことも、政権交代の結果ではないだろうか。
政権交代でいちばん変わったことと言えば、国民の政治に対する注目度だろう。
多数決ではあるが、国民が選んだ民主与党への期待は大きく、「今回の民主政治が国を変えなければ日本は滅ぶ」と提言する評論家も多い。
下野した自民党議員たちが、「マニフェストに掲げていない!」「以前に反論していたことが出来てない!」 と猛反発しているが、マスコミも国民も「明らかになっていく国政」を、冷静に期待の目で見守っている。
今回の90兆を越える予算案も、役人の既得権益をぶっ壊し、公約通りに公務員改革や無駄カットが進んで行けば、ドンドン下がっていくのだから、インタビューで迫られても馬鹿正直になって慌てることはないと思う。
田原さんや三宅さんのように元々、民主も自民も同じような性質(たち)の議員が潜伏しているので似たようなものだと言う人もいるが、割合は違う。
その「鬱陶しい議員さんたち」を早く追い出すか、良識改革の意志がある者同志で連立させてもいいから、早く手を組み取り合って欲しい。
良い政治家は、私腹を肥やさず、自分の資産を投げ売ってでも、国のことを考えることが出来る者なのだ。
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10月26日 (月) 惜しかったなー「カッシー!」
過去の市長選から見て、今回も現職の市長がダブルスコアで大差をつけて圧勝と思ったが、そこは神戸市民、さすがによく見ていた。
結局は矢田市長の継続に終わったが、毎度30%ほどの低い投票率ながら、今回は「現職不支持」が大きく上回ったのは当然の結果だと思う。
民間からの市長誕生は、次回に期待したいところだ。
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