10月10日 (土)  「性同一性」などと複雑にすることはない!

10月8日付けの毎日新聞の「境界を生きる」で「性分化疾患」というものを取り上げた記事を読んだ。

「くらしナビ」というページで、帚木蓬生(ははきぎほうせい)氏に、著作の「インターセックス」(集英社)を出版した動機などを聞いたものだった。

帚木氏が唱える内容は、「世の中が男女の性別だけでは足りないのではないか?」「性別には第三の性がある」といった、性同一性障害や性分化疾患の存在を世間でもっと広く受け止める必要を伝えていた。

それを読んで、「なんと今頃気付いたのか?」と失礼ながらも感じた。

理由として、
そもそも、同性を好んだり成長にともなう異性化は、人類が誕生して集団で暮らし始めた頃からあったと考えるのが正論と思う。

それを性の疾患とか障害という位置づけをした医学的見地がよろしくない。

自分が子供の頃に「変なおっちゃんやお兄ちゃん」「変なおばちゃんやお姉ちゃん」と感じた人は少なからずいたし、年齢が増すに連れて「その傾向」は強くなったり目覚めたりするものだとも思った。

「オカマ」「おなべ」「ゲイ」「レズ」といった言い方で呼ばれるのは嬉しくないとも多く聞くが、彼らが言う「○○」と呼んで欲しいというのも、これまた千差万別で「ええ加減にしてくれ」というようなものが多く、それも勝手なエゴに感じる。

男性や女性の中でも趣向が別れているように、帚木の言う「第三の性」の中でも一括りには出来ないほどで、髭面の男同士が愛し合ったり、女三人が三角関係の恋愛のもつれでもめたりと、様々な形態が存在する。

同姓から「貴方のことが好き」と告白されて「なんや気色悪い」と感じるのも普通だし、異性でも嫌いなタイプやストーカー行為の被害はどこにでもある。

僕が言いたいのは、障害とか疾患などと思わず、オブラートに包んだような関わり方もやめて、世間の目を変えるように堂々と振る舞って欲しいということだ。

性別の分け方は、法律も変えて行かないとならないことは多くあるが、トイレや浴場に「第三」を作ったところで間に合わないほどの様々なタイプがあるのだし、現に男性女性同士でも「こんな奴の後や、一緒には入りたくない」というのも当然ある訳で、
お互いの認識を高めること、差別やごり押しはしないこと、迷惑にならないことといった常識的な取り組みが最重要課題なのだ。

取りあえずは、小学校の頃から各自に認識をさせること、各記帳の欄の「男・女」に、項目をもう2、3増やすところから始めてはどうか?