Diary 2009. 4
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4月6日 (月)  カンブリア宮殿から「新橋三丁目のクロニクル」へ

僕が以前からよく観るテレビ番組に、テレビ東京の「カンブリア宮殿」「ソロモン流」「ガイアの夜明け」があった。

「あった」という過去形だから、今はあまり観ていない訳で、特にカンブリア宮殿は観なくなった。

最初の頃は、面白い番組だなぁと思って観ていたのだが、ゲストに選ばれた企業の社長や会長の調子が良すぎるのが何故か気になり出したのだ。

司会の村上龍が、辛口調ながらゲストを持ち上げる(台本?)も、段々と白々しく思えて来たからである。

「この社長は偉大だ」「この社長の言うことを聞いていれば間違いない」といった風に思えてならない。

確かに出演した時点では、一代で会社を伸し上げたとか、不況を乗り越えてきたという事実はあったのだろうが、それがあまりにも格好良く映りすぎるのが、どうも可笑しく感じたりもした。

カンブリア宮殿を観なくなったのは、出演した一人、ホンダ自動車の社長が、昨年に「やむなく従業員をカットする」というニュースが流れたときだった。

たった数年後も読めない現実が今ある。


昨日深夜にフジテレビの番組で、東京新橋のガード(高架)下で「バーバーホマレ」という理髪店を、現在も一人でやっている93歳の女主人を紹介していた。

ここで50年以上もやっているという、女主人の「スガ」さんの江戸弁もお客さんの髪を切る手さばきも信じられないほど実に軽妙だった。

「あたしゃまだ働けるからいいけどね、雀の涙ほどの年金なんて貰っても食ってけないよ(笑)」
「政治家が多すぎんだよこの国は、外国は日本の3分の1っくらいしかいないよぉ、ガッハッハ(笑)」と、新聞に目を通しながら語っていたり、先立たれた娘さんのハサミに呟きかけるシーンもあった。

戦後まもなく夫を亡くしてから、自分で娘二人を育てて来たというスガさんの言葉のひとつひとつが、過去から悟り、未来を見通すものだったように思えた。

とにかく、スゲェ「理髪師」・・・いや、人間だった。


4月9日 (木)  オカシな国、オカシな都市


「2兆円(給付金)渡すから10兆円(赤字国債)貸してくれ!」

直訳すると全く変な話だ。

地方の「市債」や「府債」が増えるのも政治家や役人の責任で、殆どの自治体が大赤字なのだから「右へ倣え」で同じ事をやっている。

政治家に至っては、選んでしまった住民の責任となる。

「みぞうゆう」が「未曽有(みぞう)だ」と指摘するのもいいが、抗議の矛先をもっと大切な部分へ持って行かないといけない。

(そんなことは分かってるでしょうがね)

議員も公務員も減らさないで、神戸空港や地下鉄の赤字は一体これからどうするのだろうか?

市長に聞いたらきっとこう答えるだろう
「知らん!」と・・・。


4月13日 (月)  アフリカ大陸南部取材記

知人でヨハネスブルグ在住の記者が「ボーン・上田記念賞」を受賞した。

その記念講演(自由ジャーナリストクラブ主催)を帰国中に開くというので、先日の午後、大阪弁天町まで出かけた。

東京や大阪は、人の出がやたらと多いのであまり好んでは出向かないが、隣県だし関西の中心であるということから、大阪への通いはしばしばある。

普段は車での移動が多いので高速道路の環状線はよく利用するが、JRの環状線に乗ったのは、実に十数年ぶり。

講演の会場は、弁天町の生涯学習センターという所で、案内状を見ると地下鉄からもJRからも駅前だからすぐに分かりそうなものだが、案内板はあったものの、入り口がどこやら分からずに迷って通り過ぎてしまう始末だった。


講演は「アフリカはいま」という大ざっぱなタイトルだが、現地での密着取材故、講師(知人)がさらりとした口調で喋っていたのとは裏腹に、「乾いた血の臭い」がするような内容だった。

中でも、映画「ホテル・ルワンダ」(ドン・チードル主演)で取り上げられた、十数年前にあった実際の惨劇で、現地民フツ族とツチ族の民族間抗争による大量虐殺の、その後に及んだ講演内容はとても凄まじく、当時のホテル内に逃げ込んだ殆どの人々が虐殺により死に絶え、残ったのは僅か三人だったという。

その生き残れた三人の内の一人(当時幼少年)に、大量虐殺の最中は「どうやって、死を免れたのか」を問うと、「ホテルの外壁の割れ目に自身の首を突っ込み、子供ながらに息を潜め、死んだ振りをし続けて生き残った」と語ってくれたという。

しかしその青年は、取材の会話中に
「フラッシュバック」を起こすせいか、脳が急に震え出し突然気分が悪くなるなど、取材を止む終えず打ち切るしかなかったという具合で、「悲しみと苦しみ」しか伝わってこない、聞いていてとても辛い内容の講演だった。

その後、現在拘留されている虐殺した側と、殺害された遺族との面会があることに話は移っていった。

知人が語るに、虐殺された遺族が拘留中の面会し、相手に問いかける内容は、不思議なことに恨み辛みでは無かったという。

「どうやって?、何を持って?、どんな殺し方を最後にしたのか?」という内容を、淡々と普通の表情で聞いていたというのだ。

民族性なのか、恨み方や人の命の重さが我々日本人と違うのかは、推し量ることや理解することが出来なかったが、同じ事の繰り返しが、絶対に起きぬよう、これからも知人記者の報道活動が続くことと、その事実が世界に広く伝わることを心より祈るばかりだ。

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4月16日 (木)  可哀想な「漢字検定」のおっちゃん


今回の漢字検定の「儲け過ぎ」報道で、NPO法人のイメージが悪く報じられたので、NPO法人を外そうかなと思った団体は多いだろう。

確かに漢字検定は、不要と思える下請け会社を設立したり、親子で代表になって自己所得を肥やすなど、やり過ぎた面もあるが、もっと国民が楽しめない公益法人は腐るほどあり、しかも政府(国)や地方自治体から税金を出費
し、赤字にも関わらず補填し続けているではないか。

漢字検定を擁護する訳ではないが、国民に迷惑をかけまくる公益法人や、社会保険庁を始めとする国の滅茶苦茶な機関は責任を取らされないことの方が多いのだ。

漢字検定の会長は「国民の国語の勉強のために」と言いながら暮らしに不必要な難しすぎる漢字を出し続けるのも「公益」と言うのなら、行き過ぎは良くない。
しかし、その検定にわざわざお金を払って群がる国民も国民だと思う。
このまま行くと、またもや「漢字格差」なるものが生まれてしまうのでは?

それより何より、漢字検定ばかり責め立てるマスコミのトップや各タレント報道司会者たちの年収の方が、取りすぎてるんじゃないの?


4月18日 (土)  今日は何の日

本日は語呂合わせで「よいは」の日らしい。

「よいは」は「良い歯」でもなく「良い葉」や良い波」でもない。
政治の派閥に「良い派」があればいいけど、もちろん存在すらないと思う。

それで「よいは」とは、良い「刃」のことらしく、「包丁などの刃物をお手入れしましょう」とも書いてあった。
(そしたら11月8日や1月18日は「いい刃」の日になるのでは?と揶揄してしまいそう)

僕が社会人になっての初仕事は包丁を研ぐことからだった。
若い頃、切れる包丁に仕上げるまで研ぐのは、職人にとって当たり前の業と思っていたのだが、いろんな肉屋の職人と出会う度に、それは変わっていった。

ある職人は「包丁なんて研ぎに出せばいい」と自分で研げなかったり、切れにくそうな包丁を、まるで鋸(のこぎり)のように「ゴリゴリ」と動かせて肉を切る職人も居た。

ステーキなど切り身を造るのに、そう何度も包丁を入れるのは、食材に付加がかかって良くないことだし、切った断面が野菜の飾り包丁のように、ギザギザになってしまう。
(たまにスーパーのバックヤードを覗くと、そんな従業員を見かけるが、最初の頃に癖がついてしまったのか、お手本が無かったのだろう)

「預かり包丁」という訳ではないが短期の助っ人でよその店に入ることもあり、うちの店でも過去百人以上の職人と出会ってきた。
職人の世界では、まな板へ向かう立ち方、包丁の握り方、添え手の使い方などでもその腕前や癖がわかるが、最初の出会いで使っている包丁を見れば、だいたいの事はわかるものだ。

我々は主に切れ味の点で鉄製の鋼(はがね)を使用するが、包丁をピカピカにし過ぎる者、研げてない者、機械研ぎの者などと、その形は様々でいろんな包丁を見てきたが、大切なことは次の点だけだ。
1、清潔なこと。2、よく切れること。3、まな板に無理のかからぬ刃の型をしていること。
それらが出来ていれば材質は何でもいいと思う。

包丁も用途によって型も研ぎ方も違うのだが、肉屋の作業は魚屋と違い、「ドン」と音を立ててぶった切ることが殆ど無いので、出刃包丁のような物はあまり無いし、刺身包丁(柳)のようにしょっちゅう研ぐことも無い。
毎日砥石で研いでる肉屋が居るとすれば、よほど下手なのか、もの凄い仕事量で包丁を使うかだ。

年に1、2度ぐらいは粗砥石で型をつけ直すことはあるが、普段は一番目の細かい「仕上げ砥」か「棒砥(ぼうとう)」という細長い磁石の付いた鉄製のシャープナーを使い、シュッ、シュッと刃をあてて脂分を取り、刃先を合わせるくらいで後は洗って拭くだけだ。
それが故に僕が包丁の型をつけるときは、出来るだけ「薄く」するのが自分の特徴で、薄いと筋と肉の間に包丁の切っ先が入り筋引きがしやすく、刃が長持ちするからだ。
だから人に貸して、まな板を強く擦られた日には、切れ味が落ちたり刃先が欠けたりするので、他人に使わさなくなってしまった。

職人同士は当たり前に人の物など使わないが、出先の女将さんやパートのお姉さんに「ちょっと貸してね」と言われ「わぁーよう切れるわぁ!」と、返って来たときには(もうー)という事は、悲しいかな時たまあった。

その他、包丁自慢をするのにもいろいろあって、研いで研いでチビってしまい小さく使いにくくなった包丁を「これはもう18年も使ってるから」と得意満面に見せる人も多いが、ちゃんと使いこなせば20年でも30年でも使えるのが肉屋の包丁なのだ。

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4月20日 (月)  新聞や雑誌は無くなるか?


今週の読売テレビ「そこまで言って委員会」で、冒頭から堀江モンがゲストで出演していた。

以前から堀江モンを罵倒する傾向にあった番組なので、激しいげ激論になるかと思いきや、各パネラーも自己主張はするものの、堀江VS○○とはならず、謙虚である意味被害者的な堀江モンに対して容認する大人びた論調だった。

あのたかじんや三宅さんまで皆が、僕には何故かタブーには触れない小心者っぽく映ったのは以外だった。

堀江モンの方は、即断型で若者の刺激にはなるが、諦めも早い分世の中のためになるかどうかは、これからの彼の成長に期待したい。

話の内容は、最近のテレビは内容がイマイチだがインターネットが主流にということにもならないだろうが、新聞や週刊誌のようなものは、活字離れが原因でもっと減っていくだろうという結論に至ったが、本当に新聞は無くなり、社会にとってはそれでも良いのだろうか?という疑問も残った。


4月24日 (金)  今年は的中!

今月24日は特異日で、いわゆる「寒の戻り」という日になる。
そして、その寒の戻りが、まさに的中した気温の一日となった。
とにかく急にやたらと寒くなったのだ。
たまには昔からの統計がバッチリと当たることがあるのがよく分かった日だった。

ちなみに明日はJR福知山線の脱線事故から4年を数える。
事故の5日前に無くなった僕の母親も4回目の命日が過ぎた。


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