4月13日 (月)  アフリカ大陸南部取材記

知人でヨハネスブルグ在住の記者が「ボーン・上田記念賞」を受賞した。

その記念講演(自由ジャーナリストクラブ主催)を帰国中に開くというので、先日の午後、大阪弁天町まで出かけた。

東京や大阪は、人の出がやたらと多いのであまり好んでは出向かないが、隣県だし関西の中心であるということから、大阪への通いはしばしばある。

普段は車での移動が多いので高速道路の環状線はよく利用するが、JRの環状線に乗ったのは、実に十数年ぶり。

講演の会場は、弁天町の生涯学習センターという所で、案内状を見ると地下鉄からもJRからも駅前だからすぐに分かりそうなものだが、案内板はあったものの、入り口がどこやら分からずに迷って通り過ぎてしまう始末だった。


講演は「アフリカはいま」という大ざっぱなタイトルだが、現地での密着取材故、講師(知人)がさらりとした口調で喋っていたのとは裏腹に、「乾いた血の臭い」がするような内容だった。

中でも、映画「ホテル・ルワンダ」(ドン・チードル主演)で取り上げられた、十数年前にあった実際の惨劇で、現地民フツ族とツチ族の民族間抗争による大量虐殺の、その後に及んだ講演内容はとても凄まじく、当時のホテル内に逃げ込んだ殆どの人々が虐殺により死に絶え、残ったのは僅か三人だったという。

その生き残れた三人の内の一人(当時幼少年)に、大量虐殺の最中は「どうやって、死を免れたのか」を問うと、「ホテルの外壁の割れ目に自身の首を突っ込み、子供ながらに息を潜め、死んだ振りをし続けて生き残った」と語ってくれたという。

しかしその青年は、取材の会話中に
「フラッシュバック」を起こすせいか、脳が急に震え出し突然気分が悪くなるなど、取材を止む終えず打ち切るしかなかったという具合で、「悲しみと苦しみ」しか伝わってこない、聞いていてとても辛い内容の講演だった。

その後、現在拘留されている虐殺した側と、殺害された遺族との面会があることに話は移っていった。

知人が語るに、虐殺された遺族が拘留中の面会し、相手に問いかける内容は、不思議なことに恨み辛みでは無かったという。

「どうやって?、何を持って?、どんな殺し方を最後にしたのか?」という内容を、淡々と普通の表情で聞いていたというのだ。

民族性なのか、恨み方や人の命の重さが我々日本人と違うのかは、推し量ることや理解することが出来なかったが、同じ事の繰り返しが、絶対に起きぬよう、これからも知人記者の報道活動が続くことと、その事実が世界に広く伝わることを心より祈るばかりだ。

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