Diary 2011. 12
メニューに戻る
12月6日 (火)  ドルジが神戸にやって来た

ドルゴルスレン・ダグワドルジこと元横綱の朝青龍が、神戸でニュースキャスター(TBS)の取材を受けていた。

内容は、朝青龍が現役当時に1億円もの詐欺に遭った犯人が捕まって今の気持ちは?といったもので、ニヤケた朝青龍とテレビのインタビューにしては、あまりにたわいも無い話だったような気がするが、1億円といえば宝くじの賞金額くらいになるが、詐欺の被害は税務上ではどういった項目になるのだろうか。

それと今日、鈴木宗男さんが仮釈放で出所したといって、大勢の国会議員や関係者たちが笑顔で出迎え取り囲んでいる報道が流れたが、その顔ぶれを見て「本当にこのような方々は、日本に必要なのだろうか?」と思ってしまった。

以下、地方議員や公務員も同様に、その職を「飯の種」にされているだけで、特に必要ではないものが多いのだろう。

大阪の次は兵庫もお願いしたい・・。


12月10日 (土)  師走の頃

師走の今日、こんな出来事があった。

場所はルミナリエで混雑する三宮、時刻は4時半を過ぎた頃だった。

ルミナリエで交通規制され一車線少なくなっていた道路の一番左側で、僕は乗用車で信号待ちをしていた。

その左側(といっても同じ車線の隙間だが)に青年一人が乗ったバイクが割り込むように狭いところを入ってきた。

(こっちの車に触れそうな距離)僕が10cmほど前進すると、そのバイクの青年は急に窓を開けてくれと手を回し「今僕の足を踏みましたよ」と慌てた口調で言ってきたのだ。

内心(何を言ってるんだ)と思ったが、あまりの混雑に降りて行って話す場所でもなく、「この交差点を左に行ったところで話そう」と僕が言ったら、青年は先に左折して行った。

もちろん踏んだ覚えもなく、悪いのはそっちの方で、逆にこっちの前輪を蹴飛ばしたんじゃないか?とも思っていたから、そのままやり過ごしてもよかったのだが、一応どんな奴か見てやろうと思い左へハンドルを切った。

僕が左へ曲がったところで車を止めようとしたら、バイクの青年はずーっと先の方へ止め、こっちまでトコトコと歩いてきた。

「足はどうなった?」と僕が聞くと、
「いえ、足は大丈夫なんですが靴が…」と言いながら自分の足の方を指差した。

その足元には、内側の土踏まずの方へVの字に避けた靴があった。

その青年の眼を見たら、半分逃げ腰だ。

(なんだ新手の当たり屋か)そう思った僕だが、その青年のあまりに弱々しい態度がかわいそうになり、財布から千円札を三枚差し出して「これで済まそう」と聞いてみたら、「…靴が2万円だったんで…半分の…」と怖々喋る青年。

(バカヤロー)と怒鳴ってやろうかとも思ったが、(コイツはきっと金が無いんだな)とわかったので1万円を渡してやった。

その時に「もうこんなこと二度とするなよ」と僕が言ったら「わかりました」と青年は頷いて去っていった。

自分のバイクをこちらから見えないところまで止めに行ったのを見ると、覚えられないようにしたのか、いつでも逃げ出せる体制をとっていたのだろうか。

本当に世知辛い12月だ。

(画像はGoogleから引用)

20111210-1.jpg



12月11日 (日)  世知辛いと言えば…

世知辛い世の中と言えば、先月こんなこともあった。

川西(兵庫県)の駅前のスーパーへ買い物に寄った時の出来事だ。

目的は僕の亡父と同い年で知人の障害者一級の方を買い物に同行したのだ。

スーパーの前の路側に自動車が列で駐車できるスペースがある。

「あそこへ停めるといい」と言われて、一台がやっとのスペースが空いた所へなんとか車を停めてスーパーへ入った。

約20分程だったが、出て来たときにパーキングチケットの機械が立ってあるのに気付き、購入しようとしたら僕の車のフロントガラスに駐車禁止の黄色いシールが貼ってあるではないか。

取り締り員を探したがどこにもいないので内容を確認し、急いでいたので仕方なく連れ帰ったのだが、これがどうも腑に落ちない。

「私が今から警察へ文句を言いに行ってやる」と、連れの方は行ってくれたが、「後で異議申し立てが出来るように書いてあります」と、心臓の悪い方故に興奮されることを避けた。

それにしても書いてある内容を訳せば「シールが貼ってないので駐禁とみなす」といった文言だったが、公道に駐車スペースを勝手に取ってお金を取るシステムを、県警や公安が作っておきながら、シールが貼ってなかったというだけで時間も確認せずに行ってしまうという業務にはどうも合点がいかない。

駐車場なら後払いだが、先払いのパーキングメーターシステムは、両替やチケットの購入をしている間も駐禁のシールを貼って帰ってしまうのか?

どうすればたった数分で1万5000円の「稼ぎ」が出来るのか?

いくら財政難だと言っても、そういった徴収の仕方には多くの疑問がある。

しかも反則金は県警に流れて余ったら国へ入るシステムだけに納得がいかない。

かの太田房江府知事も「大阪の取締違反金で国へ渡した分は○○億もある、一部を返してくれ」といった対応を国へ迫ったことがあった。

それだけに、反則金目当ての違反切符を切る警察官や巡視員たちの対応は、その場の条件に的合した処置をするべきだと思う。

長時間の停車でも運転席に誰か乗っていれば見逃し、荷の積み下ろしなど少しの間でも車を離れれば切符を切るのは完全な不平等であり、それは血が通った人間がすべき行動では無いと思う。

このあと意義を申し立てるが、一体どういった判定が下るのかが気になるところだ。


12月16日 (金)  恋愛マスター


数年前のアメリカのテレビドラマ「フリンジ」を知人から借りて今見ていたら

死んだばかりの人の脳と自分の脳をつなぎ、「死人が最後に見た映像を読み取る」というのをやっていた。

何でもその影響で、死んだ自分の恋人も出て来るという設定だが、そこに居ない人が自分の脳に浮かぶことは普通にあることだ。

それが愛するものなら、もっと当然のように出て来るものだ。

別れた恋人や家族などに似た人を街で見かけると、本当にその人に思えることもよくある。

前にも書いたが、彼女にふられたのが原因で、「ぼーっと遠くを見ている」といった、「ふぬけ状態」が何年も続いている男性を見たことがある。

JR福知山線の脱線事故で、一緒に住んでいた彼を失い、忘れられずその1年半後に後追い自殺をした女性のニュースもあった。
(その他さまざまな要因はあったが)

その「見える」という現象は、全て現実に起きるのではなく、人間の脳内で起こっているだけだが、当人には本当に見えているのだろう。

出来ることなら、幸せだった光景だけを思い出すのが一番良いのだが、なかなかそう上手くは行かないのが可哀想だなと思う。


12月31日 (土)  年明け真っ向勝負!

絆の年も暮れを迎えた夜、そろそろ除夜の鐘も鳴り響き出した。

神戸も生田神社では大勢の初詣参拝客が鳥居の前で開門を待っているだろう。

各お寺では百八つの煩悩の数が打ち鳴らされる。

一昨年に「除夜の鐘は107までその年内に鳴らされ、残った最後の一つが跨(また)いだ年に打たれる」というのを聞いて、数えたがそうでなかったのを思い出す。

人の記憶も曖昧、風物詩も時とともに移り変わるので、そんな噂がたったのだろう。

思い通りに復興が進まず、原子炉のメルトダウンが始まった年だった。

レジャーブームと言われた昭和30年代(1958〜)から日本国政府の公僕も議員も本来の役割から大きくズレて今に至った。

「消費税率を上げても税収がふえなかったらどうする?」
「なぜ行政はリストラしてスリム化しない?」
「税率の法は変えられても、公務員法は変えられないのか?」

一度聞いてみたいが、それを首相らは答えられない。


2011/12
SuMoTuWeThFrSa
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

前月     翌月