12月11日 (日)  世知辛いと言えば…

世知辛い世の中と言えば、先月こんなこともあった。

川西(兵庫県)の駅前のスーパーへ買い物に寄った時の出来事だ。

目的は僕の亡父と同い年で知人の障害者一級の方を買い物に同行したのだ。

スーパーの前の路側に自動車が列で駐車できるスペースがある。

「あそこへ停めるといい」と言われて、一台がやっとのスペースが空いた所へなんとか車を停めてスーパーへ入った。

約20分程だったが、出て来たときにパーキングチケットの機械が立ってあるのに気付き、購入しようとしたら僕の車のフロントガラスに駐車禁止の黄色いシールが貼ってあるではないか。

取り締り員を探したがどこにもいないので内容を確認し、急いでいたので仕方なく連れ帰ったのだが、これがどうも腑に落ちない。

「私が今から警察へ文句を言いに行ってやる」と、連れの方は行ってくれたが、「後で異議申し立てが出来るように書いてあります」と、心臓の悪い方故に興奮されることを避けた。

それにしても書いてある内容を訳せば「シールが貼ってないので駐禁とみなす」といった文言だったが、公道に駐車スペースを勝手に取ってお金を取るシステムを、県警や公安が作っておきながら、シールが貼ってなかったというだけで時間も確認せずに行ってしまうという業務にはどうも合点がいかない。

駐車場なら後払いだが、先払いのパーキングメーターシステムは、両替やチケットの購入をしている間も駐禁のシールを貼って帰ってしまうのか?

どうすればたった数分で1万5000円の「稼ぎ」が出来るのか?

いくら財政難だと言っても、そういった徴収の仕方には多くの疑問がある。

しかも反則金は県警に流れて余ったら国へ入るシステムだけに納得がいかない。

かの太田房江府知事も「大阪の取締違反金で国へ渡した分は○○億もある、一部を返してくれ」といった対応を国へ迫ったことがあった。

それだけに、反則金目当ての違反切符を切る警察官や巡視員たちの対応は、その場の条件に的合した処置をするべきだと思う。

長時間の停車でも運転席に誰か乗っていれば見逃し、荷の積み下ろしなど少しの間でも車を離れれば切符を切るのは完全な不平等であり、それは血が通った人間がすべき行動では無いと思う。

このあと意義を申し立てるが、一体どういった判定が下るのかが気になるところだ。