Diary 2010. 7
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7月3日 (土)  僕は生活評論家

パソコンを開いて「経済評論家」で検索すると、五十音順に名前が出てくるほど多くの人がいるが、「生活評論家」は殆ど検索結果が出ない。

僕が生活評論家を名乗ってから7年程になるが、どこへ行っても「生活評論家です」と言うと「へぇ〜?」としか返って来ないぐらい認知度は低い。
(そりゃそうだろ、生活評論家なんていう奴なんか世の中にいないだろうと思って付けたのだから)

しかし「経済評論家です」と言うと「ほ〜」と、やや感心された返事が返って来るが、実際にどっちの評論家が何を評論するのかなんてあんまり知ったこっちゃ無いと思う。
(聞き慣れてるかいないかだろう)

確かに経済評論家といえば学者っぽく聞こえる。偉そうだ。

そもそも生活評論家というのは主婦目線の感覚で捕らえられそうだが、井戸端会議に限らずあちらこちらの会話を聞いたりいろんなブログを見てると、必ずと言っていいほど何かを評論しているので、どの国民にも当てはまるのが生活評論家だと僕は思う。

主婦に対して「主夫」もいるし母子に対して「父子家庭」もある。
育児休暇を男性も取らなければという世の中だから、生活評論は全ての人が意識しながら暮らすほうが良いと思う。

言わば生活評論家はほかの評論家を評論する立場なのだ。

そういえば、どこかの経済評論家が昨年から「今回の冬季オリンピックで浅田真央ちゃんが活躍しなければテレビの生産が余って安くなる」とか、「サッカーW杯のようなビッグイベントの終わりにテレビの価格が下がる」と言ってテレビに出演しているが、あまりに喋り過ぎたせいかテレビの価格はあまり変わらなくなってしまった。

過去の統計を元に予測を立てたまでは良かったが、それが家電メーカーに知れ渡って先回りされてしまうほど露出したのはミスだったのではないかと思う。

そこで、生活評論家の僕から幸せな未来を作るための提案(十年以上言い続けてる)は・・・
「少子化をビビらず国民を半分くらいに減らせ」
「アジアの代表だの世界のリーダーだのGDPを気にして生きるな」
「みんな自分の枠を超えたら何でもかんでも「大変なことだから・・」と言ってその場を繕うのはやめてくれ」
「この世からパソコンが無くなったら生活できないような暮らしはするな」
「お金を貯めるより知恵を蓄え、お金を使うより頭を使え」



7月9日 (金)  情報による効果


選挙の投票も最近では「期日前投票」の数が増えた。

期日前投票は立候補者の公示日から投票できるので、選挙前日や当日に各報道機関が行っている「出口調査」などが、本投票日よりかなり前で少ない数だが一応の調査が出来るようになった。

投票日の4日前の昨日も、選挙投票の途中経過なるものが報道されている。


が、しかしやでぇ!
「自民党が議席を伸ばす見込み」とか、
「公明党は議席確保が難しい」とか何で今、伝えなアカンんねん!
その予測を見て判断し、本心とは違う投票が促されることも考えたらんとアカンがな。

増してや、その伝え方(報道の仕方)によっては「誘導も」出来るような内容のもんがあるでぇ。

そらぁ、ちょっとオカシいやろ?

公共の報道機関や、っちゅうのにネタが薄なったら何でも報道してしまいよる今のマスコミは、困ったもんやでぇ!

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7月16日 (金)  30年ぶりの梅雨

「記録も一番、苦労も一番」

今回の日本列島を覆う長雨で高温多湿なの梅雨は「以前にもあったんです」と、読売テレビに出ていた高齢の気象予報士の方が言っていた。

しかし、それは30年も遡った昭和50年代のデータだったのだ。
しかも、その頃の梅雨前後の天気や気温は今とは違って、平均気温は至って低い。

そういうと「地球温暖化だからだ」と、すぐに何割かの学者たちが突っ込んで来そうだが、もしそれが本当なら、これから先は毎年ずっと異常気象に対応して行かなければならない。

今朝の土砂災害では、一瞬に多くの人が被害に遭い、飲み込まれて亡くなってしまった方も少なくはない。

地震や津波のように、もっと多くの人が一瞬に被害に遭ったときの悲しさと、交通事故の如く日本各地で日々人が被害に遭う悲しみとは、質は違えど、近親者にとって傷みとなって残るのは同じことだ。

「自分だけ」という辛さや悲しみは、万人が持つが故に、実際には存在しないものと同じなのだ。


7月21日 (水)  最悪はどれだ?

僕も以前から言っていることだが、テレビや週刊誌のコラムニストも言っていたことがある。

メディアの収入源でもあるCMで、貸し金業者と手を組んだ銀行の「金借りてくれ」というのがやたらと増えたが、もう一つ増えたものがある。

「借金の返済に困っても首を吊らず、私たちに相談を!」と言っている弁護士のCMだ。

借金苦の人にささやきかけ、自己破産を促し、その借金苦の人から「報酬」を得るのが、そういった弁護士の収入源になっている。

本来は「両替商」という銀行だが、実際の収入は、人から金を借りて、別の人にその金を高く貸して「利ざや」で儲けている。

その利ざやが「高利」か、「更に高利」かが違うだけで、消費者金融(いわゆるサラ金)と「儲け」のシステムは全く同じだ。

この「貸し金側」と「返済救済側」のセットになったCMが増えているのは腑に落ちないが、メディアがその広告料で潤っているせいで、これらの「矛盾点に触れないというのも困ったもんだ」ということである。

これらのお金の流通には、全くの「生産性」がなく、いくらそのお金を回したところで、一向に誰も儲からない現象が困るのだ。

日本政府も同じで、借金で国家予算を検討しているままでは、いつか朽ち果てるのが見えているではないか。

勉強して頭の良い奴ばかりなのに、何故もっと物を生産して稼ごうとしないのだ?

農作物や家畜を育てたら売れなくとも食えるぞ!
木を使って家を造れば売れなくとも住めるぞ!
布作って服を作れば着れるぞ!

なんぼ沢山あっても、紙幣や硬貨は食えんぞ。

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