Diary 2009. 7
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7月1日 (水)  いのちの電話


先日のスーパーモーニングで「いのちの電話」の現在を番組が取材報道していた。

僕が「いのちの電話」の存在を知ったのは中学生になった頃に読んでいた雑誌だった。

番組を見ていて、昔に自分も「追いつめられて追いつめられて」受話器を取った時のことを少し思い出した。

当時は、自分が「死にたいから」などという理由ではなく、周囲の諍いやもめ事が人の命に関わり、その結果、とばっちりが自分に降り懸かって来るに至ったのが原因だった。

子どもの僕には社会経験も知識も少ない。
どうしようもなく困り果てた末の行動だった。

「いのちの電話」という名の重さに、ちょっとやそっとのことではダイヤル出来ないという思いがあったので、初めて電話をかけた時は、当然の如く、ドキドキしていたのを今でも覚えている。

「この電話をかければ全てが救われるんだ」という思いこみでかけたが、話し中がずーっと何度も続く。 (仕方がない)そう思った。

やっとのことで繋がった電話は、深夜のせいか疲れた声の男性だった。

いろいろと相談しながら打ち明け話を告げている途中で気付いたのだが、帰って来たアドバイスが僕自身でも試したことばかりで、全容の殆どが「そんなこと分かってます」といったものだった。

ショック!

「その手の話は、なかなか難しいので明日の昼からの当番の方に聞いてみてください」とまで言われ、結局何もプラスを得るものは無かった。

「いのちの電話とは、そんなものか」。
頼った自分が馬鹿だったのか?それとも話を聞いてくれるだけの存在なのか?
(こんなレベルで「いのちの電話」なんて大げさな名前をつけるな)とさえ思ったくらいだった。

勿論、次の日の昼も話し中のコールが続き、すーっとダイヤルしっ放しでやっと繋がったのだが、「う〜ん、それは警察に言った方が良いよ」の一点張りの返答だった。

現在なら、何処のカウンセラーでも充分に「いのちの電話」くらいの相談が聞いて貰えるのではないだろうか。

あれ以来、僕が「いのちの電話」にかけたことは無い。

「夜逃げ」や「自殺」の絶えない現代に、本当に「いのちの電話」が役だっているのかどうかも少々疑問は残るが、今でも続いてるのだから役立つことも多いのだろう。

しかし「いのちの電話」という、そのネームバリューの凄さに惹かれる者は多いと思う。


7月5日 (日)  ちょっとやり過ぎ


最近どのニュースを見ても北朝鮮の後継者がどうのこうのとか、金正日の次男や三男の写真を極秘入手とか、似てるが違う人物だとか、そんなもんお金をかけてニュースで流してどうすんの?

アホか?と思う。

何の意味がある?
後継者が決まれば決まったで、放っておいても、また発表するだろう。
拉致も含めて、未だに戦争!戦争!と言ってる国なんか日本のメディアで扱うな!と言いたい。
諜報機関がきっちりと情報を入手して対処すればいい。

北朝鮮の餓死寸前の国民を、どうすれば救えるか?を考えたげた方が良いのであって、正々堂々としない政府の行動なんかは無視するに限る。

それより、今日の兵庫知事選の数字はどうなるのかが、まず気になるところだ。


7月12日 (日)  愚痴(ぐち)

毎週日曜の朝は、仕事が入ってない限り、テレビ鑑賞を大の楽しみにしている。
各局の工夫を凝らした内容に、朝は生番組が多いからだ。

新報道2001やサンデープロジェクト、NHKは政冶がらみが多く、ゲストもテレビ局の「ハシゴ」で同じメンバーのときがある。

一週間の総まとめをするサンデーモーニングやサンデージャポンに、サンデーNEXT、波瀾万丈は波瀾爆笑にタイトルが変わった。

どの番組も「旬」のタレントや話題が月金の帯番組とはまた違ったノリがある。


が、しかしやでぇ!
(慣れのせいか年のせいか)最近、どの番組もちょっとずつ面白く無くなって来たのが、たまらなく辛い。

TBSの時事放談は引退老政治家たちに対する岩見さんの(小馬鹿にした)イヤミが聞けなくなった。

フジの2001は、竹村さんが降りて進行の男性アナが腰を浮かしながら喋る癖があって落ち着かず、前進行役だった今のご意見番は「上目使い」が治らず言葉に重みがなく、ゲストの議員、評論家に失礼が目立つ。

テレ朝のサンプロは、田原さんが高齢化のせいか言葉が出にくく、切れキャラが前に出過ぎてゲストが呆気にとられることもしばしばある。
ここ数年では、スポンサーが気になるのかCMを意識し出した計算が見え、つまらん空気だけが漂う番組になって来た。

サンデーモーニングの関口さんはいつも寝とるんかい?
何考えとるのかさっぱり分からん。ボソボソ喋りで、事件や世相はまるで他人事のようや。
(持ち時間とコーナーが過ぎて行けばそれだけでええんやろう)

スポーツコーナーも、野球以外は「どうでもいい」ようなメンバーで変わらない。(喝喝、天晴れ!も言い過ぎて飽きてきた)
浅井さん一人がたまに良いことをおっしゃるからまだ保っとる。

日テレのサンデーNEXTは、一体何がNEXTやねん?、よう意味分からんわ。
森卓がおるからまだええけど、やる気のない徳さんと場違いな北村弁護士はもうええわ。

サンジャポもぼちぼち終わりやな!
メインの太田がちょと飽きてきてるし、テリー&ジョージが必死で喋り過ぎたときは誰もフォローが出来ず、冷めた空気で終わるのを待つしかない。
それに内容が薄い薄い。

各局とも制作費が削られ、手抜きになってるのか?分からんが、一応は日本人の3分の1くらいを左右する影響力を持った番組ばっかりやったのにぃ。

嗚呼、嘆かわしい・・・

(番組に興味のない方、ボヤいてしまってゴメンナサイ)


7月15日 (水)  「柵」と書いて「しがらみ」と読む

「柵(しがらみ)」を辞書で引くと、川の水中などに立て、流木などを関止めるものというように説いてある。

どちらかと言えば「良いもの」に例えられているが、実際に「しがらみ」というと、断ち切れない悪縁のようなものを言う場合の方が多い。

辞書をよくよく見てみると、「まとわりつくもの」とも載ってあり、悪い例えも書いてある。

その「しがらみ」が悪い方へ出ているのが、今の日本の姿だと思う。


7月25日 (土)  生まれ変わる?


「今度は真人間になって生まれ変わって来いよ!」
これは、犯罪者が死んだとき、せめてもの掛け言葉としてドラマなどでよく使われるフレーズの一つだ。

世間に散々非難されるような人生を送っていた者であっても、極悪人でもない限り、その人が死ぬと、悪口はあまり言わないようにするのが、日本だけでなく世界各国に風習としてあるようだ。

「死者を敬う」といったように。

人は人にしか生まれ変わらず、7度生まれ変わるのを一つのサイクルとするというのが、宗教の一説にあり、前世で悪行を働いた者の生まれ変わりが「それを償う」とも語っている。
(申し訳ないが僕はそういった説に全く興味がなく、信じてもいないが、人が人を「諭す」ときなどに使われるのだろう)

それよりも、「生まれ変わる」というのは、一人の人生の中で起こりうるものではないだろうか。
だから「生まれ変わって来いよ」ではなく「生まれ変わったな」とか「これからは生まれ変われよ」という助言が正しい使い方では?と思う。

死者に対して「生前」という言い方をするが、「生まれる前」ってちょっと変じゃない?とよく聞くが、
「生前」は、死者を前にした時や死後にしか使われない言葉で、「生まれる前」という訳ではなく、「以前生きていた時」とういう意味の言葉を略して「生前」としただけなのだ。

(話は変わるが)
「人はどうせ死ぬんだから、いつ死んでもかまわない」という者や、「なぜ殺人をしてはいけないの?」という疑問を持っている者。
「自分の寿命は自分で決める」などと自殺を助長する者に対して、
この世に生まれて来たんだから、どうせなら「天寿(寿命)」を全うしようじゃないか、
人の命も自分の命も、寿命を人が決めるのは「罪なんだ」という考えを理解して貰うのに、お節介なことだがいつも苦労する。


7月27日 (月)  興味の無い方、ごめんなさい!

神戸出身の漫画家、横山光輝氏にあやかって、鉄人28号の巨大モニュメントを長田区に造ろう!と、発足した鉄人プロジェクト。

震災後だが何年も前からの案件だけに、今か今かと住民や関係者たちは完成を待ち望んだだろう。

試行錯誤の末、募金を集めたり、紆余曲折もあっただろう。

しかし、その甲斐あって今月27日に着工の式典が執り行われるとか。
(神戸は雨天の予報だが「晴れろ!」と願いたい)

実際の鉄人28号が完成して飾られるのは9月になるそうだが、銅像と同じく動かないので、リモコンは無いらしい。(残念)

鉄人というからには鋼鉄製なのだろうが、雨風で塗装が剥がれて錆びたりしないのか?メンテナンスが心配だぁ。

モノがデカいだけに同じポーズで立ったまま汚れて行くのは、ちと寂しいのでね。
関係者たちは出来上がった後の方が大変だぁ。

ずーっと同じままだと、いつかは飽きてくるだろうし、そんときゃ塗り替えて「赤の鉄人」や「黒の鉄人」になるかもね。

日本全国の鉄人28号ファンが期待してんだから頑張ってくださいよ関係者の皆さん。
ホントにご苦労様です!

さて、次は何が出来るんだろうか?って、気が早すぎ!


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