7月1日 (水)  いのちの電話


先日のスーパーモーニングで「いのちの電話」の現在を番組が取材報道していた。

僕が「いのちの電話」の存在を知ったのは中学生になった頃に読んでいた雑誌だった。

番組を見ていて、昔に自分も「追いつめられて追いつめられて」受話器を取った時のことを少し思い出した。

当時は、自分が「死にたいから」などという理由ではなく、周囲の諍いやもめ事が人の命に関わり、その結果、とばっちりが自分に降り懸かって来るに至ったのが原因だった。

子どもの僕には社会経験も知識も少ない。
どうしようもなく困り果てた末の行動だった。

「いのちの電話」という名の重さに、ちょっとやそっとのことではダイヤル出来ないという思いがあったので、初めて電話をかけた時は、当然の如く、ドキドキしていたのを今でも覚えている。

「この電話をかければ全てが救われるんだ」という思いこみでかけたが、話し中がずーっと何度も続く。 (仕方がない)そう思った。

やっとのことで繋がった電話は、深夜のせいか疲れた声の男性だった。

いろいろと相談しながら打ち明け話を告げている途中で気付いたのだが、帰って来たアドバイスが僕自身でも試したことばかりで、全容の殆どが「そんなこと分かってます」といったものだった。

ショック!

「その手の話は、なかなか難しいので明日の昼からの当番の方に聞いてみてください」とまで言われ、結局何もプラスを得るものは無かった。

「いのちの電話とは、そんなものか」。
頼った自分が馬鹿だったのか?それとも話を聞いてくれるだけの存在なのか?
(こんなレベルで「いのちの電話」なんて大げさな名前をつけるな)とさえ思ったくらいだった。

勿論、次の日の昼も話し中のコールが続き、すーっとダイヤルしっ放しでやっと繋がったのだが、「う〜ん、それは警察に言った方が良いよ」の一点張りの返答だった。

現在なら、何処のカウンセラーでも充分に「いのちの電話」くらいの相談が聞いて貰えるのではないだろうか。

あれ以来、僕が「いのちの電話」にかけたことは無い。

「夜逃げ」や「自殺」の絶えない現代に、本当に「いのちの電話」が役だっているのかどうかも少々疑問は残るが、今でも続いてるのだから役立つことも多いのだろう。

しかし「いのちの電話」という、そのネームバリューの凄さに惹かれる者は多いと思う。