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兵庫津の道を歩く

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「菜の花の沖」

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写真 大輪田橋から大輪田水門を望む

兵庫津の道とは何か

-ひょうごのルーツがこの町に-



皆さんは 神戸市の「兵庫」の町をご存知でしょうか。兵庫県の県名にもなったこの町のことは、あまり知られていないと思います。


平清盛、高田屋嘉兵衛等に愛された町


この兵庫のまちは、平安時代の昔から「大輪田泊」と呼ばれ、平清盛の時代には、中国・宋との貿易の拠点として港が整備され、福原には一時都が置かれたこともあります。

 のちに、兵庫のまちは「兵庫津」と呼ばれるようになりました。特に、豊臣秀吉の命令で大坂の町に大きな船を近づけることが禁じられたこともあり、天下の台所大坂の輸送を担う港として発展してきました。江戸時代後期には、豪商高田屋嘉兵衛が北前船で交易に活躍し、これを取り上げた故司馬遼太郎氏の名作「菜の花の沖」の舞台となりました。この物語は、NHK開局75周年記念(2000年11月放映予定)の大河ドラマとなることが決定され、この兵庫津も改めて人気ある場所となると思われます。

幕末期、兵庫港の開港を諸外国より求められた幕府は、あえて当時人口希薄な、東隣の一漁村神戸を開港し、現在の神戸の発展へとつながっています

今では、神戸市の一つの区としての地名でありながら県の名前にもなっているのも、この地が発展しており、兵庫城に県庁を設置したことにも由来します。この兵庫には日本でも最大の規模と歴史を誇る兵庫運河などがあります

 昔から海陸交通の要所であった兵庫津は、太平洋戦争をはじめ、幾度も戦火にあい、また今回の阪神淡路大震災と、多くのものが失われましたが、まだまだ街角には歴史をしのぶことのできる史跡や文化財が残されています。

 「兵庫津の道」は、これらを結ぶ道路の愛称として、一般公募の中から選ばれた名前で神戸市により歴史の道が整備されています。

この道は 和田岬にある県立工業高校の前を通り、地元でも親しまれておりますが、震災後落ち着きつつある今、この定時制工業高校情報技術科の教員や生徒がこの道をレポートします。

なお、製作にあたり、神戸市兵庫区役所まちづくり推進課のご協力、各種資料提供、アドバイス等をいただきました。記してお礼申し上げます。


このコンテンツが神戸市の広報紙でも紹介されました
神戸市市民参画推進局「協働と参画のプラットホーム通信」第7号  

制作:兵庫県立 神戸工業高等学校 情報技術科

担当 教諭 西川 敏弘

参考文献

 兵庫津の道、由緒ある町兵庫(兵庫区役所)

 

アクセスカウンタは2000年に設置し2006年に10万アクセスを記録しました。




県立神戸工業高等学校 情報技術科