Diary 2011. 2
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2月3日 (木)  飽きる?変わった?


数年前まで、毎月最終週の金曜日深夜になると、田原総一朗さんの「朝まで生テレビ」を見るのを楽しみにしていたし、日曜の朝は同じく田原総一朗さんの「サンデープロジェクト」も見続けた。

若さも加勢してか、録画をせず踏ん張って、殆どオンタイムに見ていた。

その「朝生」は年末も年越しに長時間に渡りオンエアしていたが、見ることはなかった。

現在も田原さんのメルマガを毎回読んでいるが、「サンプロ」が打ち切りになった頃からか、「朝生」も気合いを入れて見なくなって行った。

これは飽きたのか、内容が面白くなくなったのかは分からないが、永田町や霞ヶ関の内情をよく知らしめさせられたせいで、田原さん自らも他のパネラーの発言も、「質が落ちた」ように何故か思えてしまう。



2月9日 (水)  「丹波篠山にて」

♪丹波〜篠山、やまだの猿が〜ヨイヨイ・・・と民謡「デカンショ節」に歌われるように、
兵庫県には内陸部を大きく渡る丹波篠山地方がある。

平成の大合併で、丹波市も篠山市も養父市も大きな市にまとまった。

その真ん中を縦に走る「若狭舞鶴自動車道」も今は無料になっているが、何故か各料金所はフリーゲートにせず係員が居て「0円」の領収証を発行している。

今回はその舞鶴若狭自動車道、丹南篠山インターの脇にある知人の店「牛屋たなか」へ、日本酒蔵「小鼓」(西山酒造)に行った帰りに寄させて頂いた。

「牛屋たなか」「肉の文」などを経営する、田中畜産の専務である田中久工(きゅうこう)君と知り合ったのは阪神大地震の前だったと思う。

今でもそうだろうが、「牛屋たなか」は、日本一大きな面積のログハウス(国内の法令で許される目一杯の大きさ)で出来ている。

2年に一度ぐらいしか行けないのだが、年賀状などで結婚や出産の知らせをもらい、会わない間も久工君は成長し、頼りになる知人の一人として健在だった。


(木で作った大判のメニューに焼き肉トング、料理ばさみが用意されている)

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2月27日 (日)  三輪明神 大神神社

神戸の生田神社が縁で知り合った友人に逢うため、奈良の三輪神社へ行こうとカーナビを設定したところ、全く出て来ない。
カーナビは別メーカーの2台ともだ。

パソコンで「三輪神社」で検索すると出て来たのが「大神神社」だった。
しかも「大和国一宮、三輪明神」と前に付く。

さっそくカーナビに「おおがみじんじゃ」「みわみょうじん」で入れたがまたまた出て来ない。

仕方がないので電話番号をナビに入れると「大神神社」奈良県で出て来たのでそのまま現地へ向かった。


奈良県桜井市にある大神神社(通称三輪大社)は本殿(神殿)を持たず、その後ろに聳(そび)える三輪山を神体としている故、4時間を有する登山が控えていた。

その日は午後からだったので時間もなく、三輪山へは参らず大きな敷地内にある「湧き水を飲んで病を治す」といわれる「狹井(さい)神社」へ参り、その御神水を飲んだ。

大きな石にボタン式の蛇口を取り付けた湧き水を、ペットボトルなどで汲みに来ている参拝客も多かったが、味は少し酸味のある軟水のような感じで、美味しい水ではなかった。


それよりも何よりも嬉しかったのは、友人の森昭二さんが変わらず神社の彌宣(ねぎ)をしている姿を見られたことだった。

森さんは外国語が堪能で、生田神社時代も、僕が連れたドイツ人映画監督らにドイツ語で対応してくれたほどだ。

森さんに尋ねて分かったのは「大神神社」の大神は「おおみわ」と読むので、三輪(みわ)神社と勘違いしやすいということだった。


(画像は、当日スペイン人女性客をスペイン語で案内する森さん)

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