Diary 2010. 10
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10月2日 (土)  「雁木(がんぎ)」

インターネットで「雁木」を検索すると、「木材を積み上げた船着き場」とか、「雪国の商店街などの軒を雪の重みから支えるもの」と出てくるが、今回訪れたのは、岩国市にある八百新酒造の日本酒ブランド「雁木」のことだ。
(もちろん検索すればこの酒も出てくるが)

今年の春に大阪梅田にある阪神百貨店において、第一回目の「にっぽん酒まつり」が開催されたときのこと。

全国各地から集った銘酒の酒蔵が都道府県別にずらりと並ぶ中、山口県は岩国市から旭酒造と隣り合わせで八百新酒造があった。

ブランド酒名は旭酒造「獺祭(だっさい)」と八百新酒造「雁木(がんぎ)」。
この2社と覚えている。

獺祭の「磨き○割○分」という大吟醸のネーミングにインパクトはあった。

あまり酒の飲めない僕が一口飲んで「甘い!」(僕は甘いのが好きだが)と言ったために、旭酒造の担当の方に勘違いされて「酒は米が原材料、甘いのが当然」と、長く説明されてしまった。

話をたっぷり聞けて嬉しかったのだが、どうやら昨今の辛口好きと思われたらしい。
途中からは「説教」にも聞こえたほどだった(笑)。

お隣の八百新酒造は、社長自ら来ていた。
(縁あってか、たまたま名刺を頂いたから知ったのだが)
ここの酒もまた別のインパクトがあり、同じ岩国の酒でも獺祭とはその違いがはっきりと顕れていた。

雁木からは、最近の日本酒ブームで珍しくなくなったが、シャンパンやビールのような発泡系日本酒も配られていた。

何故か雁木に興味を持った僕は、「また山口県へ出向いたときは、ぜひ酒蔵へ寄せて頂きますので宜しくお願いします」と社交辞令で言った訳ではないが、八百新酒造の小林社長も笑顔で首を縦に振ってくれたので(勘違いだったらご免なさいだが)岩国の城下にある「雁木」の酒蔵へと足を運んだのは先月のことだった。

一度だけ会ってから数ヶ月後のことなので、電話で訪問する日は確認したものの、顔や名前まで覚えて頂いているとは考えてもいない。
先ずは行ってから説明すれば分かって貰えるだろうと思って訪ねたのだ。

何処の酒蔵へ行っても感じることだが、その使いこなされた蔵の風貌は、日本建築の遺産にいつも思える。

八百新酒造も同様、我々が生まれる前から建ち続ける店構えは、どっしりとした歴史がのし掛かってくる重厚な建物だった。

中へ入ると、元気の良い若い蔵人が二人居た。

「小林社長は居られますか?」とは告げたものの、初めて訪れたお客にも関わらず、わざわざ社長を呼びに行ってくれたのは嬉しかったが、奥から出て来た社長が「どうぞ」と気さくに奥へ通して頂いたのも、嬉しさが一人(ひとしお)だった。

(自分だったら遠方から訪ねて来た客人というだけで同じようにもてなせただろうか)と頭に浮かべつつ奥の事務所のソファーへ腰を下ろした。

僕より少し白髪の小林社長は、八百新酒造の四代目で、その昔は醤油を造っていたそうで、聞き違いでなければその初代から数えると五代目に当たるという。

会話の内容を書くには至らないが、中で所望して頂いた新酒の数々は絶品のような気がした。

取り分け「おりがらみ秋熟ひやおろし純米大吟醸」は小瓶だったが、買ったその日に宿で連れと二人で呑み干したほど、旨すぎた。

今月の下旬から「今年の酒造り」に入ると言う小林社長は杜氏も兼ねている。

八百新酒造のHPに酒造りの動画が載せられているが、そのチームワークで一気に造り上げる雁木の酒は、飲む酒というよりは「呑ませる酒造り」の気風が漂うように、八百新酒造四代目小林社長を見ていて思えた。

また次の新酒が楽しみだ!

(画像はGoogleより引用)

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10月12日 (火)  神戸は「ティーブレイク」の街


「この辺で、ちょっとお茶しない?」
知人にしろ他人にしろ、誘う言葉としては必ず上位に使われる文句だろう。

30年ほど前からよく使われるこの「お茶」というのは、一般に喫茶店へ行くことや、珈琲をさす場合が多いのだが、お茶と言うからにはやはり茶葉を用いて点てた飲み物をさして使って欲しいところだ。

先週の「秘密のケンミンショー」で、紅茶もケーキも消費が日本一多いのが兵庫県だった。

勝手な予測かも知れないが、県の中でもダントツに神戸での消費が多いのだろうと思う。

と、なると、神戸市民はケーキと紅茶のティーブレイクが日本一好きな国民と言える。

そういえば、淹れるのも飲むのも、僕や亡きお祖母ちゃんは紅茶が大好きだ。

オレンジペコ、ウバ、ダージリンなどの他、ハーブティーなどをストレート紅茶にして飲むのも流行ってはいるが、僕にとって最高の紅茶はミルクティー。
しかも、紅茶を牛乳で炊いた「ロイヤルミルクティー」が一番旨いと思う。

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10月22日 (金)  和牛の「今昔の感」

和牛は、「黒毛和種、褐毛和種、日本短角種、無角和種」の四種に分類されているが、日本で流通している殆どは黒毛和種だ。

その和牛や豚の食肉の流通過程は、生産者側と販売側の二つに分けられる。

生産者は「繁殖」「肥育」が専門で、牛(生体)を育てる役割が主となり、農家と兼業している場合も多く、もう一方の精肉や加工が専門の食肉販売業とは、「屠畜(とちく)」という行程が入ることで、「立ち牛」と「枝肉」とに分業されている訳だ。

牛を屠殺する者を屠夫(とふ)と言い、業界では屠場(とじょう)と呼ばれる食肉の競り市場で解体され、皮は皮革業者へ行く。

頭部や臓物や尻尾などはバイプロミート(副産物肉)と呼ぶ、いわゆるホルモン業者の手に掛かけられ、残った枝肉を我々食肉店が精肉するといった流れになっている。
(そこで出る牛骨や牛脂も、それぞれの利用業者へと渡される)

屠畜とは屠殺のことで、正に「殺生(せっしょう)」であるが、僕は一食肉業者として、敢えて屠殺の部分にはあまり触れないようにしている。

過去に「いのちの食べ方」という映画も作られた。

我々は、「何処の屠場の皮むきが上手な仕事をしている」とか、「あそこのホルモンはキレイな掃除(洗い)をしてるな」といった風に、専門職の者同士として、一目を置いているのだ。

しかし昨今の「産直ブーム」などのせいか、最近では畜産農家が直営する牛肉店や肉料理店も増え、「うちが育てた牛をうちの店で」とか、「この牧場で」とか、契約農家を持っていることを自負するようなキャッチフレーズで、食肉販売を展開しているようだ。

僕は子どもの頃から、「愛情を持って牛を育てる農家が良い」と教えられて来たし、また肥育農家の方は「自分とこの牛が売られていくときは、いくら事業と言えども切なくなるものだ」との声も聞くことが多い。

「べこ(子牛)から自分が愛情を注いで飼ってきた牛を屠場に送るときは心で手を合わせいる」と言うぐらいだから、やはり「自分が手塩にかけた牛だけは食べ辛い」という意味なのだろう。


僕は生きている牛を観る勉強はあまりしなかった。

「人間の為に全ての家畜は殺生を強いられているのだから、絶対に無駄なく仕事をこなせ」というのも祖父に教わったことだ。

古い食肉店は、必ずと言っていいほど、供養のために牛を祀っていた。

こんなことを言うと気弱に取られそうだが、「殺生」を境に営んで来た僕にとって、牛肉とは「枝肉」からが専門分野。

牛の出所や血統、農家の資質は気にするが、「どんな顔の牛だったのか」などという部分には触れないでおきたいといつも思う。

それゆえに、愛情込めて自分の手で飼った牛を「美味しいよー」と笑顔でお客さんへ勧めるのは自分には真似の出来ないことだと、生産者の小売り販売を見ていていつも感心する。


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