Diary 2011. 3
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3月12日 (土)  被災直後に出来ること


白昼に日本の東太平洋側を襲った地震と津波は、あまりにも広範囲で、強烈なダメージを日本国民は受けている。

津波が直撃をした当日もさながら、特に一夜が明けてからは途轍(とてつ)もない悲惨な状況が次々に見えてきた。

伝えるメディアも精一杯の報道につとめ、地元のリポーターには疲労困憊も見える。

(阪神淡路大地震を経験したからという訳ではないが、「被害が拡大しています」というようなことはそれほど無かった)



今回の地震被害は阪神淡路地震の時と違って、信じられない速さでやって来た津波による被害が奥尻島やスマトラ島と同じく甚大で、我々には初めての経験といえるだろう。

全ての者が「冷静に、沈着に」と情報を発信しているが、どうしても情報が錯綜するのもこの様な非常事態には致し方ない。

今は国民が簡単に使える携帯電話のメールにも「チェーンメール」などという間違った情報を大量に流してしまう現象もあり、状況を見守る国民たちの焦りが生む言わば「周囲被害」も困ったものだが、これもよくあることだ。

特に当の被災者には、情報はおろか救援救護の手が回らず、現場の警察などが被害の拡大を避けるために「通行止め」などを行うが故に、手遅れになってなってしまうこともしばしばあり、我々も現場の警備に当たる者を説得するのに手を焼いたのを覚えている。

被災した現場には、「マンパワー」という人手の尽力が一番必要なときだが人の考え方も十人十色で、「早く何とか助けたい」と考える皆の思いは同じでも、方向がひとつ違えばそれが原因で「もめ事」になってしまう場合もしばしばあったし、同じ日本人でも方言や訛があるので言葉が上手く伝わらないこともあるだろう。

とにかく今は「もがく、足掻く」を繰り返しながら前に進めるしかなく、あまりにロングショットで見ていては、悔いが残ることが多かったのだ。

「最善は尽くすが、有効な手ばかりは無く、有能な指導者というのもそんなにはいない」

「非難は後回しにして、ここは一所懸命に手を合わせて動くしかない」

今はそのときだと思う・・・



3月24日 (木)  東日本大地震被災の経過

自然災害による悲劇の現場で起こる現象は、今回の東太平洋大地震も阪神大地震の被災と殆ど同じ順序でやって来ている。

日本全土が一つになってこの苦境を打開しようとする姿。
事故者や行方不明者の救助と捜索を賢明に続けるチーム。

避難所へ詰め寄るボランティアたちと次々と集まる救援物資だが、マンパワーは足りず、物資は必要な物ばかりではなく同種の物が積み重なって余る現象も起きて置き場所に困ったりもする。

仮設や様々な優遇処置はストレスもピークに達し、「我先に」という小さな争いがそこで始まる。

「もっと良い手だては無いのか?」
「情報の錯綜は何故当たり前のように起きるのか?」
そんな不満や疑問で一杯になり、更に不安が募る。

マスコミも政府の発表を大きく報道し、結果的に混乱を煽ってしまっている。

「放射能に汚染されたものを口にしないで」と、大きく載せるわりには、「大事に大事を選んでのことで、本来は影響が無いから大丈夫なんだ」という政府発表の方を小さく報道するものだから混乱は起きるのだ。

(ただでさえ滅入って弱ってる者に、何故そんな扱いをしたがるのだろうか?)


昨日、神戸の友人が自社の商品を盗難から守るため、福島原発の避難勧告が出て行る中へ決死?の思いで行って、貸し出している商品を持ち帰る途中に見たという話だが、ゴーストタウンと化した原発近隣の地区には、神戸のときと同じで既に「窃盗団」が暗躍しているらしく、窓ガラスがぶち破られたオートバックスの店内には何の商品も無くなって「もぬけの空」にされていると言う。

危険区域には店員も入らず警備の者も入らないという隙(どさくさ)を狙われたのだ。

もちろんオートバックスだけではないだろうから、徐々にそういった「付け込んだ犯罪」の報道がされるのは、大震災のときに付き物と言えるだろう。


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