Diary 2012. 9
メニューに戻る
9月5日 (水)  防災訓練?


今日大阪で全国のニュースになる規模の緊急時用実験が行われた。

350万台の携帯電話へ一斉に避難メールが送られ、マナーモードに設定してあっても、その緊急メールだけは音が鳴る仕組みになっているということだった。
(音に気付かなかった者も多かったらしいが)

僕もそんな仕組みが携帯電話に仕込まれていたことは知らなかったが、実験としてはやっても良いとは思っていた。

昔から学校や大きなビルにある企業などで、何日にかに一度、「火災訓練」というものは行われていたが、鳴った非常ベルが「本当の火災だったらどうなるんだろう?」と思うこともあった。

そんな鳴ったことにも気付かない者が多い中で、本当の緊急ベルやサイレンが、どこまで有効か?

都会では緊急車両がサイレンを鳴らして走っていても、そのことに慣れきった他の車や通行人が、道を塞いだままになっているのを見かける。

「防災訓練」という文字も少々おかしく、「緊急時避難訓練」と書く方が正しいのでは?と思うが、訓練や予行演習はやっておいた方が良いだろう。

ただ、あまり回数を増やしても、都会の緊急車両や童話「狼と羊飼いの少年」のように、麻痺してしまう可能性もあり、実際の訓練に不必要な部分もあるので改善はすべきだろう。

(商用目的で)売られている本やグッズを見ても、「防災マップ」(これから自然災害が想定される危険区域が分かりやすく付いた)とか、どちらかというと「無意味」な物ばかりが目立つ。

御用学者や関連団体などが、自分たちの「居場所欲しさ」に考え出した、自然災害を予測するというのは殆ど無理な話で、それに乗せられている者がいるのも実際悲しい現実だ。

自然災害は予測想定外が当然で、起きた大きさよりも、その後の復興や傷跡、爪痕の方がずっと長く残る問題で、「そのとき残った者は何をしなければならないか」が一番で、それを常に話題のテーマに挙げておかないと、
実際に被災したとき忽ち困ってしまうではないか。

あまり考えたくないのが事実だが、それを叩き込んでおかないと、いつも同じ事の繰り返しになってしまう。

自然災害を想像するのはいいが、防災には限りがありすぎるので無駄が多い。

実際に考えないといけないのは、「想定外の事態が起きたら?」ということだ。

それらを過去の実績から見直して欲しい。


9月30日 (日)  ◎金持ち(表に出る)喧嘩せず

「戦争を無くそう」
「人種差別を無くそう」
「平和に生きよう」
と、分かりきってるけどそれが守られない理不尽な社会がある。

「肌の色は違えども流れる血は同じく赤いのに、その血が人種や宗教問題を生んでいるのではないか?」

決まり決まった、よう聞く文句や。

なんやよう分からんけど、そんな「分かりきったことが守られてない」と表現する音楽や画家などアーティストは多い。

またそれを賞賛してる団体や公的期間もやたらと多い。

そこまで当たり前のことを叫び続けんとアカンのか?と思うが、それで少しでも気付く者がいれば良いと訴えてるのだろう。

そんなことを利用して上手に稼いでらしゃる人たちは、良い人ぶってるだけで人種差別をする者と同様でかなり嫌らしいのだが、またそれが現実なんやなぁ。

戦争や差別と同じで無くなりはしない、盲点の盲点に潜む盲点がどこにでもある。

それはそうと、今日みたいに台風が通過する中で神戸でも「よさこい踊り」を決行するチームがいるらしいが、風邪を引いたり怪我しないようにと、偽善ではなく心から祈る。
(僕なら絶対中止にするが・・・)


2012/9
SuMoTuWeThFrSa
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      

前月     翌月