Diary 2010. 2
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2月6日 (土)  「角を矯めて牛を殺す」


「角を矯めて牛を殺す」なかれと、昨日の新聞の経済欄に書かれていた。

内容は、米国企業の首脳陣をヘッドハンティングしたり、国などが有能者の首を切ってを残った企業を骨抜きにしてしまわないようにといったものだったと思うが、特に気になったのは、角を矯めての「矯めて」という漢字が読めなかったことだ。

「矯めて」・・・一体なんと読むのだろう?

前にいたカフェのマスターに聞いても隣にいた学生に聞いても読めず「う〜ん?」となってしまった。
国語辞典を引いて貰っても読み方が分からないので諦めたが、昨日は帰ってから辞書で検索するのが楽しみになった。

こんなに読めそうで読めない漢字に出くわしたのは久しぶりだから・・・。

新聞にルビが打って無かったので、普通なら読めて当然なんだろうなぁ(悔)。


2月8日 (月)  失った自分との再会


昨年の話しになるが、札幌に移住していた叔母が四十年の北国暮らしに別れを告げ、再び神戸に居場所を戻した。

僕が中学2年の夏休みに一人で初めて北海道へ行けたのはその叔母のお陰でもあった。
高校に進学してからは、毎年の冬に札幌へ遊びに行くようになり、一ヶ月ほど札幌で過ごせた。
(3月の期末テストの後、終業式をすっぽかせば、翌4月の始業式まで長期の冬休みが取れたという訳だ)

母の2歳下のその叔母は72歳になるが、北海道の豪雪の中で最近まで毎冬雪かきをしてきた実績と体力があるので、一応は元気に見える。
70まで札幌の繁華街の中心である薄野(すすきの)の最前線でバーを営業していたのもあって「垢抜けた若さ」が残っている。

その叔母が神戸に持ち帰った物の中に、僕にとっては宝物といってよいほどのものが入っていた。

それは、阪神大地震で失った自分の赤ん坊の頃からの写真だった。
もちろん親兄弟、その他昔の思い出が詰まった写真が数百枚。
何という幸いなことだろう。
心の中でも言葉でも嬉しさに「やったー!」と思わず叫んでしまったぐらいだ。

生前の母親が「うちの写真でも何でも札幌に持って帰ってしまう」と、笑いながら嘆いていたが、震災で思い出の物をほとんど失ってしまった僕らにとって、それは最高の土産となったのだ。

これから、ゆっくりと時間をかけて、思い出に浸りながら、その写真の整理をして行こうと思う。

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2月20日 (土)  目眩の薬の副作用にめまい?

あー、悔しい!

昨年11月に重症化した「目眩と耳鳴り」。
そのとき耳鼻科で「良性の頭位回転性めまい」と診断され、めまい薬を貰って飲んだ。

年末年始は、薬の効き目が現れたせいか治っていたのだが、この2月に入って間もなくの頃、昨年同様の回転性めまいが現れた。

先週は座っているいしか対処方法が無く、横にもなれず眠れなくって辛いので、深夜に救急で病院へ行き、脳外科の当直医に診て貰った。

「前回と同じ様な良性の頭位めまいだと思いますので、メイロンという薬を注射して、以前と違った飲み薬で試してください」と言われ、やや症状が治まったのを見計らってから帰宅した。

その後も、一時的に治まったかのように思えた回転姓目眩は昇降状態が続き、昨夜に薬が切れるのを境に少し重くなった。

今朝、病院に電話で「症状はあまり治まらない、昨年貰っていた目眩の薬が残ってるんですがまた服用していいですか?」と医師に尋ねて貰った結果、今日から「セファドール」と「セロクラール」を飲み始めた。

右も左も上も下も向いていられないからって、仕事も用事も減らさないとやっていけない毎日を続けてるのは、どーも辛いなぁ〜。


2月25日 (木)  裏 晋平


昨日からテレビはマオアサダとヨナキムのフィギュアスケートばかりで、見ている僕の目が回りそうなぐらい回っとるなぁ。

これでもし、真央ちゃんとキムヨナが会場の奥の通路で、ど突き合いのケンカになって、フリーのときに二人ともボコボコの顔で出てきたらオモロいやろなーと、つい想像してしもた。

(関係者の皆様へ・・・誠に申し訳ない)


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