Diary 2012. 12
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12月5日 (水)  人が生まれて死んで逝くこと


別に年度で区切る訳ではないが、今年も多くの有名人や知人が亡くなって行った。

自分の親が死んだときよりも、知人や著名な人が亡くなる方が悲しくて泣けるときがある。

「次は自分の番か」、そう思うときもある。

人生の絶頂期でなくとも好転しているときに死を迎えるのがよいのか?
はたまた、失意のどん底というまでも辛いときに死ねるのがよいのか?

いつ死んでもおかしくないような人が長生きしたり、健康に気を配っていても、ときには亡くなることもある。

死ぬのは怖いことだが、
それぞれ「いつ死んでも仕方ない」という、前向きな覚悟だけはしておいた方がよいだろうと、いろんな人の生き様を見ていて思う。

親の顔は知らなくとも、産まれて来たからには必ず親はいる。

人様にあんまり迷惑をかけず自分が楽しく生きて行ければ、自分もその親も幸せなのだ。


12月23日 (日)  金持ち(表に出る)喧嘩せず

「戦争を無くそう」
「人種差別を無くそう」
「平和に生きよう」
と、分かりきってるけどそれが守られない理不尽な社会がある。

「肌の色は違えども流れる血は同じく赤いのに、その血が人種や宗教問題を生んでいるのではないか?」

決まり決まった、よくある文句や。

そんな分かりきったことが「守られてない」と表現する映画や音楽などのアーティストも多い。

またそれを賞賛してる団体や公的期間もやたらと多い。

「そこまで当たり前のことを叫び続けんとアカンのか?」と思うが、それで少しでも気付く者がいれば良いと思って訴え続けているのだろうか。

そんな善意を利用しながら上手に稼いでらしゃる人たちには、「偽善」が見え隠れする。

良い人ぶってるだけで人種差別者と同様、かなり嫌らしい気がするのだが、そんな人は思ったより多い。

私利私欲の「全米ライフル協会」NRCがそうだ。

今回オバマ大統領の「銃規制をしたい」という発表に、NRC会長は「善人が持つ銃を増やして、悪人の銃を征する」といった、信じられない暴論が飛び出した。

日本も国民がバタバタと動く「年の瀬」は物騒な時期だが、アメリカを初めとする銃規制の緩い国はもっと物騒で、枕を高くして眠りにくいところだろう。

戦争や差別も、無くなりはしないと思うが、「盲点の盲点に潜む盲点」はどこにでもある。


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