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私がAMKを好きな理由

JOCRラジオ関西を聞き始めた頃

JF3MXU 西川 敏弘



(1)地元局で地域密着型。

それでいて音楽分野等では超一流

(2)ダイヤルは左端。聞くと他局を選ぶのが面倒。

何より番組内容が趣味に合っている

(3)全国放送より「はがき採用確率」が高い。

ここの局の人は親切である




AMKを聞き始めた頃

私がAMK(当時のラジオ関西)を聞き始めたのは昭和40年代の中頃でした。

  当時は、FM大阪(S45)の開局前後という時代で、他のFMはNHKのみという時代背景でした。

さんちかタウンにはガラス張りのサテライトスタジオ(今のサテスタは私が知る限り3代目の場所)があり、たしかお昼と3時、夕方と3回ここから番組があり,今から思うとすごく豪華なメンバーが出演していました。

放送中となるとサテスタ前は混雑し、後方の階段を利用して見物したものです。

ここは放送が無い時でもラジオ関西の番組が流れていたようです。



ガラス張りのサテライトスタジオ時代の代表番組は「サテスタで逢いましょう」木村忍さんの名調子「さんちかサテライトジョッキー」「サテスタ日曜寄席」「鶴三・松枝の(以下不明 お昼の番組)」などがありました。

その後 さんちかタウン改装によりメイン通りに移転しますがガラスは無くなりさんちかビジョンという画像システムも入ります。

震災により現在の場所に移転されますがここは元々さんちかビジョンのモニターがあった場所で、場所はいいものの元の大きさから半分以下です(このようなところにも震災の影響がある)

参考までに当時のラジオ関西は、関西で唯一 プロ野球中継をせず、「ナマナマ大放送」(鶴光、露の五郎、藤村有弘、吾妻ひなこ、小曽根実 などが出演)「ウイークエンド電話リクエスト」などの番組をしていました。

当時から続く番組としては「歌声は風にのって」があります。番組形態は同じですがテーマ曲が現在と違い、「チチカートポルカ」(パーシーフェース楽団)だったようです。


また、当時神戸市の広報番組「サンデー神戸」で花の種をいただいた事もありました

特に当時、藤村有弘(ひょっこりひょうたん島に声の出演をしていた)がリスナーのアマチュア無線家をスタジオに呼んでハム談義をしていたのが 私のその後の人生に影響を与えました。

国内BCLがはやったのもその頃で、私もその道から無線、コンピュータという道を歩きだしたのですが、その原点にはラジオ関西との出会いがあったのです。

ある日、海の見える放送局(−現在CD選書で出ています−ソニーレコードSRCL 1886・・・ 風と落ち葉と旅人/岡田さんの手紙・・)の「レコードは出ていないか」とCRに問い合わせし購入したことがありました(−参考までに LP番号は SOLJ40 ・・ただし廃盤・・)当時、子供だった私にも親切に教えていただきました事がありがたく思ったものです。

須磨のスタジオへ小学生のとき友人数名とスタジオ見学に行き「ジャストナウ関西」の奥田博之さん(当時AMKの花形アナだった)にお会いしたことや、「わいわいヤング」という木元英治さんの番組にも出していただいた事,斎藤くにおのワイドワイド関西で手紙が紹介され録音テープをいただきプロの録音に驚いたことなどが懐かしく思い出されます。

いずれにしましてもAMKとのつきあいが長いのは やはり最終的に「情」を大切にする風土なのだと思います(これは神戸新聞も同様ですが).頑張れAMK


平成11年1月更新

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西川敏弘 jf3mxu@hi-ho.ne.jp