Diary 2018. 9
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9月1日 (土)  兵庫の奥座敷

神戸では海から山まで車なら15分ほどで行けるといった利点がある。

僕が生まれ育った兵庫にも「奥座敷」というものがあり、夏には海でなく清流のある川へ上がることも多い。

先日も子供たちを遊ばせるため、その清流まで行ったが、川遊びに馴染みのない子供たちは、恐る恐る川へ入って行く。

素足の膝したに水の流れを感じ、よろけながら弥次郎兵衛のように手を広げ歩く姿が面白い。

最初は半ズボンだったので良かったが、そのうちに尻餅をつき服が濡れるともうそれからは子供だから無茶苦茶に。

呼び寄せて濡れた服を脱がし、パンツとシャツだけにして「思いっきり遊びなさい」というと、それから何時間も小エビや小魚を捕まえるのに夢中になっていた。

画像はその辺の枝で作った物干しにかかる子供の服。

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9月3日 (月)  本当に大丈夫かぁ?

甘利さんと橋本聖子さんを両脇に置いて「OH!ー」と叫ぶ安倍さん。

さすがにこのショットは辛いね。

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9月8日 (土)  生粋の神戸人とは1

昨年は神戸開港150年、今年は兵庫県が150年ということで兵庫県の方が後から出来たことになってる。
兵庫県の知事も日本の総理大臣も初代は伊藤博文だから、暗殺した韓国人には恨みを抱いて当然だろう。

ただ神戸人となるとちょっと違い、過去150年も大事なんだろうが、もっと先の未来の方が気になる気質なのだと思う。

マザー・テレサの残した言葉の多くに「前も先も考えるより今を大切に生きろ」というのがあって、勿論だと思うけれど「この先はどうなって行くんだろう?」「自分が死んだ後の世界が気になる」といった想像が頭を過る。

良い言い方をすると「夢や希望に憧れを持って生きている」というのが僕なりの神戸人気質なんだと思う。

辛い悲しいを刻むのじゃなく、しんどいことを今やっとかないと明るい未来はやって来ないんじゃないのかな?と考えながら過ごしている。

ことなかれ主義など大嫌いで、それなら生きてる意味がないとさえ思ってしまうのが神戸人。

宵越しの銭は持たない江戸っ子より、未来のためにさっさと使ってしまおうと考えるのが神戸人。

自分のために生きてるんじゃなく、自分が居なきゃお前ら困ったことになるぞと思って生きてるのが神戸人。

目立つことは嫌だけど埋もれることはもっと嫌だと思うのが神戸人。

「生粋の」になるには、まだまだある。


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