Diary 2021. 9
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9月3日 (金)  残念な菅義偉さん

 「現役首相の菅総理が次の総裁選に出馬を断念」という速報が流れた。

 尽く移り変わる目先きに惑わされ、役人の作った文章を朗読させられ、おまけに「人流」(じんりゅう)という新語までさもあったかのように読まされた。
(マスコミまで堂々と使っている始末)

 息子の不祥事、コロナ禍オリンピック、ワクチン接種、企業の明暗を分ける指示、SNSとマスコミやコメンテータらが叩きまくるという殺伐とした現況で、安倍さんから継いだ首相の席はあまりにも冷たい座り心地になっていたのだろう。

 そんな中、昨日知人から聞いた言葉でハッと気づかされすっきりしたことがあり、下の記事を思い出した。


政治と一体だったジャーナリズム

かつて新聞記者出身の政治家が沢山いました。石橋湛山(1884〜1973)は毎日新聞、東洋経済新報社を経て総理大臣になりました。今でも湛山賞として名を残しています。緒方竹虎、河野一郎は朝日新聞、安倍首相のお父さん晋太郎(1924〜1991)は毎日新聞です。社会党を二代目委員長として率いた鈴木茂三郎(1893〜1970)は報知新聞、東京日日新聞。数えたらきりがないほどです。



知名度優先、政策は二の次

 時代は大きく変わりました。まずテレビの影響力が増し、そしてインターネットの時代に入りました。ジャーナリズムの世界も幅広い娯楽番組を含めて、「メディア」の世界の一部に吸収されていきました。その結果、ジャーナリストの役割は内容ではなく知名度や露出度にとってかわられたのです。

 その典型が鳥越俊太郎氏でした。鳥越氏については週刊誌を中心に様々な報道がなされているので、あまり触れたくありませんが、ジャーナリストとは何か、を考える格好の材料を提供してくれました。

 彼は「ジャーナリスト」として立候補しています。しかし、2000年に入って間もなく、彼ががん保険のコマーシャルに出た時から、多くの人は彼がジャーナリストではなくなった、と思ったはずです。私もその一人です。タブーであった、というより、広告に出ようという発想自体がジャーナリストにはなかったのです。さらに驚かされたことは「がん検診率100%」が立候補の最初の公約だったことです。我が目、我が耳を疑いました。CMと考え合わせると、醜悪な公約に思えました。

 かつてCMについて寺澤有氏が「ジャーナリストが広告に出ることは批判も多いですが」と尋ねたことがあるそうです。「別冊宝島Real 「ニッポンの恥!」から引用させてもらいます。鳥越氏は「悪いけど、オレはジャーナリストじゃない。それはみんなが勝手につけている肩書で、オレは『ニュースの職人』だから。『ジャーナリストはかくあるべし』と言う規範で考えられたら困る」と答えたそうです。寺澤氏は「鳥越氏を批判してきた人間は、彼の行動様式が『ジャーナリスト』と違うことを問題にしてきた。…それが『ジャーナリスト』ではないとなると、批判は全く無意味である」と述べています。まったく同感です。鳥越氏はネット上などで「ニュースの職人」を自称していますが、「職人」には、「かくあるべしという」規範がない、と考えているのでしょうか。



「ジャーナリスト」なのになぜ扱いが違うか

 鳥越氏の不可解さはそのままテレビ報道の不可解さにつながっています。一例を挙げます。都知事選にはメディアから小池百合子氏、上杉隆氏も立候補しました。都知事候補としての上杉氏について私は判断材料を持ちませんが、同じジャーナリストの肩書なのに鳥越氏と放送時間、紙面のスペースで大きな差がついたのはなぜでしょう。顔が売れているかどうか、知名度が高いかどうか、が基準だとすればあまりにテレビ的です。我が家の本棚に上杉氏の書いた本が二冊あります。「小泉の勝利 メディアの敗北」(草思社)と「世襲議員のからくり」(文春新書)です。いずれも大新聞が書かない、あるいは書くことを控えている問題を取り上げています。彼はオールドメディアが嫌う記者クラブの門戸開放も訴えてきました。二人の候補者の扱いの差は、選挙報道の在り方を問うています。



登山口が異なるジャーナリズムと政治

 国政レベルになると、メディア出身者は現役の議員でも沢山います。思いつくだけでも、石原伸晃氏(日テレ)、安住淳氏(NHK)、小渕優子氏(TBS)、額賀福志郎氏(サンケイ)、茂木敏允氏(読売新聞)、山崎力氏(読売新聞)、丹羽雄哉氏(読売新聞)、松島みどり氏(朝日新聞)、丸川珠代氏(テレ朝)など多彩です。政治部系の人が多い、ということが、メディアと政治の関係を物語っていますし、報道の中身が政策より政局に重きが置かれる事情も暗示しています。

 メディアと政治と言うことで記憶に残る経験があります。自民党の丸川珠代氏がテレビ朝日のアナウンサーから立候補した時のことです。退社の二日前に社長室に挨拶に来ました。彼女の文章力には見るべきものがある、と彼女が部下になる前から評価していました。そうした社員を失うのは残念なことなので、日ごろ気になっていたことを聞いてみました。「メディアと政治の間の距離感をどう考えているか」です。残念ながら明快な返事はありませんでした。

 参院選の長野で当選した杉尾秀哉氏(民進)がTBS、鹿児島県知事になった三反園訓氏はテレ朝の記者でした。仮に目的の頂上が同じであっても、ジャーナリズムと政治は登り口が異なっていると思っています。杉尾、三反園両氏を含め、ジャーナリズムから転身した人たちは異なる登り口があることを忘れないでください。メディアが政治への入り口に使われることがないよう願っています。

君和田 正夫


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