7月1日 (火)  ◎憲法新解釈記念日?


今日、「集団的自衛権」という日本でしか通用しない言葉を盾に、憲法解釈への反対運動が起こった。

「平和を願う」のは、殆どの日本国民が同じなのに、誰に炊き付けられたのか、疑心暗鬼になったのか。

平和を願う割には、デモという攻撃を行っているのも腑に落ちないが、それが「日本人流殺し合い」なのか?


少し前、アフリカで部族と部族(ツチ族とフツ族)が殺し合う、「ホテルルワンダ」という実話が、ドンチードルの主演で映画化された。

アフガニスタンでも、タリバンという組織が起こした内戦で、アメリカとの戦争に至った悲惨を描く、「カンダハール」という映画が作られた。

朝鮮の南北戦争を始め、世界各国で内紛が今も止まない。

「恐ろしいことだ」とは思うが、日本でも明治維新までは、殺し合う戦いが多かった。

「国取り合戦」などという、ゲームもあるが、日本も戦争を終えてまだ68年だ。

しかし、アメリカの占領下で当時作られた日本国憲法も、今日まで一切改変されていない。

今回、憲法解釈を一部変えて、自衛隊が日本を守るために「防戦できる」となっただけではないか。

今までの解釈では、警官が犯罪を見過ごすのと同じようなもので、人が殺されそうになって、殺人犯が目の前に居ても、人の身を守ることも出来ない、自分の身さえ守ることも出来ないというものだ。

それを今回の反対運動は、「その警官たちが可哀想」とか、「その警官たちが犯罪者になるかも」とか、「警官がいるだけで犯罪者に特に狙われるようになる」と言ってるようなもんだ。

ちゃんちゃらおかしい。

それこそが拡大解釈だということに気づいてない。