1月27日 (日)  良い街づくり


阪神淡路大震災をきっかけに、「まちづくり」といったものが全国に広まっていった。

行政が有識者と考え出したまちづくりは、NPOで協議会、事務局といったものが多い。

今までは自然に出来ていた「コミュニケーションがなされていない」といった発想のもと、被災地でない多くの村や過疎地にも、この「まちづくり」は作られて行っている。

「良い街に」というコンセプトも精神も、誠に申し分ないもので大変結構なのだが、その作られたシステムに多くの問題はある。

「良かれ」と思ってだろうが、政治家や官僚が国から資金を捻出。
それを行政と自称専門家たちが奪い合うように作ってくれたシステムに則って行われているまちづくり。

「降りた補助金の使い道」という訳で、自称有識者たちが売名と小銭稼ぎに群がり、結局はそれが街の住民のためになっていない事が多いので、施しを受ける住民にとって困った結果になっている。

補助金が減り、「おいしくない」と考えたまちづくりの有識者や事務局スタッフには、「食ってけない」とさっさと辞めていく者も多い。

残された住民のことは全く考えてないのがよく分かる行動だ。

勿論、その有識者の下で働くスタッフやボランティアの中に、「考え出した先生たちは間違ってる」と気付き、自分たちで工夫してそのまちに貢献している者がいるから、資金が無くとも成り立っているところも当然ある。

多額の予算を提供する政府にとって、その金の使途には目が行き届かず、中間で「つまみ食い」されても仕方ないような中央集権は辞めて、橋下市長らの言う「地方交付金より地方で金の使い道を考える」といった、地域密着型でその地域に合ったまちづくりを展開して行くのが望ましい。

外様が長では、地域のカラーも何も無くなってしまい、「押しつけ」の作業だけ虚しくこなしているという結果につながるのだ。