4月2日 (月)  店仕舞い


昔から我々は、見える危険を見失い、見えない危険に怯えて生きて来ている。

放射能汚染や狂牛病のように、殆ど直接の被害者が出ていないにも関わらず、見えない危険には過敏に反応する。

一方、昨日の駐車機に3歳の子供が挟まれて亡くなったという事故は、当の母親が機械を操作している最中に起こった、なんとも痛ましい事故で、その子の親は自暴自棄になり自分たちを忌まわしめるしかないだろう。

何でもない物を、人が買っているのを見てつられて自分も買ったり、並んでいるのを見て並ぶ人もいるように、自分で物を見る目を失っているようだ。

最近よく見かけるのが、ガードレールの無い歩道を、よちよち歩きの子供を連れて歩く親が、手は繋いでいるものの、子供が自動車側にいることだ。

案外携帯メールに気を取られて、子供を無視ではないが、忘れている親もよく見かける。

注意はすれど、そういう親に決まって「わかっています」と怪訝な顔をされるのが落ちだ。

「店仕舞い」と聞くと、「もっと続けて欲しかった」とか「最後だから行っておこう」と詰めかける人の心理もよく分からないものだが・・・。