7月1日 (金)  知能指数(IQ)が示すもの

知能指数を辞書で引くと「精神年齢を生活年齢で割る」とあるが、そもそも「精神年齢」や「生活年齢」が何なのか分からない。

それに、同じ問題で知能テストをやっても、測定するときの年齢や精神状態も左右するので、その度に能力が上がったり下がったりする。

ただ、検査の精度は割合に高く、平均100のものが50になったり150になったりはせずに、10程度の誤差内で結果は出ている。

そこで「知能指数」とは一体何なのか?を考えると、「物分かりの良さ」「理解の早さ」が揚げられるので、一般的に「頭の回転の早さ」や「その場の空気を読む力」、「総合的な能力」などを表すものとされている。

知能指数は測定する内容や項目が多く、その項目に得意、不得意の偏(かたよ)りがあれば、それも考慮しなくてはならない。
知能指数の結果だけで優劣は付け難い部分もあるというわけだ。

一方、知能指数の使い道を考えると、物事の整理をしたり、想像力を膨らませたり、カリキュラムを作る作業などに就くと、その高い能力を発揮できるのではないかと考えられている。

知能指数の高い者は暴力的な「力技」を不得意とし、何でも順序立てて効率の良い結果を得意とする故に、あまり気付かれず「潤滑油」として機転を利かせる立場に立つ者が多い。

その機転の良さは、知能指数が低い者には理解出来ぬ早さで事を運んでしまうからだ。

しかし、知能指数が高いというだけで偏ったプライドの持ち主もいるので、すぐ苛ついたり、他人を見下すこともあるのだ。

それは、知能指数では測れぬ「個性」や「人間性」といった、生まれつきの「性根」が深く関わっているせいだろう。

中でも一番困るのは、天才的な頭脳を持ち合わせているため、共同作業が出来ない(または続かない)という点だったり、何かとムキになったり、案外飽き性だったりすることだ。

知能指数とは無関係なところに「不出来」な内面を抱える高いIQの持ち主たちは、詐欺などの犯罪を重ねてしまう者もいるので、高いIQであっても、その方向性が結果の善し悪しを決めることだろう。