4月19日 (月)  報道の是非

JR福知山線の事故は、僕の母親が亡くなって5日後の出来事だった。
この事故を知ったのは奇しくも母親の葬儀を終えて自分が病院へ行ったときだった。

父親のように慕っていた叔父が、母に続いて2日後に亡くなったのを知らされたのも、この事故報道を病院のテレビで見ていたときだった。

事故ほどの悲惨さではないにしろ、時を同じくして掛け替えのない者の死を悼む僕にとって、気持ちに通じるものがある。

JR福知山線の事故以外にも公共の交通機関の事故は、信楽鉄道や日航機の墜落などがあるが、全てにおいて安全義務の怠りだと人為的ミスを指摘した報道や集団訴訟の記事が取り沙汰されるが、「集団」ではないにしろ人為的な事故や事件で、予想外の人生を送るはめになった者は他にも数多くいる。

「被害者の会」などの集結によって世間の目にとまり、取り上げられて問題視されることもあるが、個々の殺人事件や交通事故などには、大きな事故など比べものにならないほど悲惨な出来事であっても、世間の目に触れなくなってしまうのは何故か辛さを感じるのも否めないものだ。

冷害など天候の加減で農作物が不作となり、価格の高騰も取り上げられているが、先ず被害を浴びるのは生産者であって、消費者サイドは辛くとも他の献立さえ選べば一時は乗り切れる問題であって、マスコミは不安を助長するような報道をしてはならず、他の知恵を授けるような報道をしなければいけないものだと思う。?