8月23日 (日)  河内遊侠伝?


「人間、死ぬ気になれば何でも出来る」
何処かで何度か聞いたことがある台詞(せりふ)だ。

その言葉を初めて耳にした10代の頃は、本気でそう思っていた。
「なるほどそうだ!必死でやれば何でも出来るんだろう」と。

20代になると、少し考え方も変わって来て、死ぬ気になれば・・・とは言っても、何でも出来るという訳ではないと思い、「何でも」の解釈が狭く絞り込まれていった。

その後30代になって震災を経験したときには、「死ぬ気になったって、そんな大したことは出来ない」と、その言葉が、「人を諭す意味」で使われるだけなのだと気付いた。

そして40代の今は、「死ぬ気になって」と言われてもほとんどは何にも出来ないだろう、プライドもある。
気力体力にも限界があるし、「健康でいれる人生もそうは長く続かない」と、10代の頃と比べ、残念ながらかなり「否定的」になってしまった。

しかし今でも、人には「人間死ぬ気になれば何でも出来るというじゃないか」と諭す意味では使っている。

結局、振り出しに戻ったようなものだ。