9月8日 (月)  性善説と性悪説なんてどっちでも良い

北京でパラリンピックが行われている最中だからという訳ではないが、
相撲取りが大麻遊びをしたのかどうか?、その証拠の「尿」の押収の方法に疑問があるのでは?という問題が世間を騒がしている。
(相撲取りなんだからロシア人が行く店で何だかんだ食ってるうちに大麻らしき物が混入した物を口にしたんじゃないか?ぐらいにしか僕は思っていない。大麻なんて北海道へ行けば道ばたに生えてるんだから)

しかし、同じ「ドーピング」といってもパラリンピックのドーピングは少し訳が違う。
全出場選手が障害を持ち、様々な治療薬を摂取しながらの人生なんだから、本当に「悪意」のあるもの以外は検査反応だけで、資格の取り消しを行うのは、運営協会側もかなりの考慮や配慮が必要だ。

中国は麻雀の国だが、今や隣国の日本を含めて全世界に麻雀は広がってる。
世界各国の麻雀に微妙なルールの違いこそあれど、「雀卓」を囲んでのコミュニケーション遊びとしての麻雀は優れた要素を持っている。

中でも家族単位でする麻雀(中国では結婚式が始まるまで披露宴客全体で麻雀大会をやるのだ)は、金品を賭けての「賭博」とは違い、囲碁将棋、トランプと同じ感覚で遊べるのだ。

そして、その麻雀には卓を囲む四人(三人打ちというのもあるが極めてギャンブル性が高いので普通の麻雀とは違うものだ)の中に小さな「社会」が生まれるのも麻雀の特徴で、勝ち過ぎたり、負け過ぎる者が出ると、たちまち面白くなくなる。

つまり真の麻雀には、強い者が手を緩め、弱い者を助けてやるという「道徳」が存在するから続けられるのだ。

かなり「きれいごと」に聞こえるが、その心を持って社会を形成すれば、現在のような格差社会や動乱を招くことは無くなるのだ。

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