8月8日 (金)  神戸紀行

以前僕のWebページで
「京の着倒れ」「浪速の食い倒れ」「神戸の履き倒れ」というのを載せたら
「履き倒れは江戸ではないのか?」という指示を頂いたので、少し補足をしておこう。

その昔、「江戸の八百八町」に対して「浪速の八百八橋」という言葉が出来たのが元々のルーツで、それに準じた訳なのか「八百八寺」「八百八坂」という言葉が生まれた。

続いて、着倒れ、くいだおれと関西からの発信に対し、江戸では「履き倒れ」というくらい履き物に金をかけるという言葉が出来た。

当時から江戸は人口100万を越える大都市であったから、草履が多く売れたのだろう。
それは、現在でも同じで何をとっても一番多く利用されるのは当然のことだと思う。

神戸は市が出来て、まだ100数十年しか経っていないので、京都、大阪、神戸の三都市を対象に、八百八坂も履き倒れも、いわば江戸から「真似た」のであるが、
神戸は海港当時から、海外の貨物船が様々な舶来品を積んでやって来ることでメリケン波止場など、一躍「ハイカラな街」として有名になった。

江戸の履き倒れは和式の「草履」のことであり、神戸は洋式のシューズで「靴」を示しての「履き倒れ」ということになったのである。

それが元で、神戸は全国の人が履く靴の製造が日本一多いのである。
(でも現在はやっぱ中国産が多いのかな)