8月20日 (水)  一億総カメラマン時代

大型の家電ショップへ行くとテレビがズラリと並んでいるが、そのスペースはかなり大きい。

同じく「液晶モニター」を展示している点で考えれば、カメラと携帯のコーナーはテレビと比べて台数が圧倒的に多い。
種類や性能も少しずつ違う。

デジカメとカメラ付き携帯の種類は一体どのくらいまで増え続けるのか?。

しかも各都道府県の電化の街へ行くと、中古デジタルカメラがワゴンに山積みされ、数百円で売られているくらいだ。

レンズのブランド名と画素数だけで本質的な「写り」はそっちのけで売られるのも困ったものだ。
(写真は「写し」と「写り」が重要なポイントなのだ)

北京オリンピックの入場行進を見ていても、デジカメや小型ビデオを片手に持つ選手たちが、前回のアテネ大会よりも数段増えている。

スタンドの観客からもカメラ、選手たちもカメラと、テレビに顔が映っている数の半分くらいカメラが映っている。

少なくとも僕の高校写真部時代は、カメラと言えば高価であった。
(一部使い捨てやバカチョンといったものもあったが)

何よりもフィルムと焼き付けの現像代が結構かかったものだ。

現在の日本は「写る」という点で考えれば、人口より多くのカメラを保有していることになる。

しかし、「自分撮り」といって自分で自分だけを撮っては消し、消しては撮り、という「気に入った分だけ残す」といのは、今も昔も同じようだ。

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