8月14日 (木)  フェンシングといえば

今回の北京オリンピックで日本人初となるフェンシングのフルーレ男子個人で「太田雄貴」選手が銀メダルを見事獲得した。
フェンシングはフルーレ、エペ、サーブルの3種目(女子はフルーレのみ)があり、それぞれ突く部分や切る行為を含めるものがある。

日本におけるフェンシングといえば、以前にこんなことがあった。

1985年はプロ野球が阪神タイガースの日本一に沸いた年だったが、同年に神戸で出場条件28歳以下のユニバーシアード(国際学生スポーツ大会、オリンピックと同じく夏季、冬季2年毎)が開催された。

当時のフェンシングは日本でメジャーな競技ではなかった故、競技用で最新式の器具を全て買い揃えるのに関係者総動員で、てんやわんやの大騒ぎになった。

「殆どが我々関係者の自費で賄い、競技審判や大会役員、広報の兼任などで、皆が本業の仕事どころではなかった」と、当時の大会役員で神戸のYMCAでフェンシングの指導をしていた白石和夫氏が苦笑ながら語っていたのを思い出す。

そんな甲斐あってかどうかは定かでないが、今回の銀メダル獲得で当時の役員たちの苦労が報われ、国内の普及にまで漕ぎ着けるような結果になれば、大変結構な話なのだが。