3月21日 (金)  司法に問う

日本の裁判に一般国民が参加して判断する「裁判員」の制度が始まる。
悪徳ではない方の弁護士に憧れたこともあり、傍聴や原告、被告も体験した僕にとって、今回の裁判員制度の導入は期待多き出来事だ。
現在は、いろいろな裁判所へ行き制度導入に伴う説明行事にも参加し、疑似体験をさせて頂いてる最中である。
最初は数十名の民間人に通知して集まって貰い、少しづつ段階を経て最終6名に絞り、その6名に裁判官3名を足して計9名で担当した事件の判決を合議するといった米国の陪審員制度に似て非なるものではある。

その都度、お世話をしていただく関係者(裁判官OBが多い)に尋ねて廻るのも貴重な情報である。
彼らOBは殺人事件の裁判長も経験し、何度も判決を言い渡して来た。
「日本の死刑制度に対する賛否」や「終身刑の導入」について僕が個々に質問をしているのだが、その返答は様々である。
「弁護士の顔を立てて、検察の求刑に対して8掛けや7掛けで判決を下しているのではないか?」とか「最高裁の判例に沿っているだけではないか?」という問いにも「YES、NO」と分かれた意見をだされている。

その中の一つの意見として、割合多かったのが「終身刑」に対しての考え方で、「現行、日本の法律には死刑と無期懲役があり終身刑はないのだが、終身刑を取り入れると殆どの裁判官が死刑判決を出さず終身刑に逃げるのではないだろうか?」というものだった。
「死刑を宣告され(いつ執行されるのか)と己の死を待つ毎日が延々と続く死刑犯にとっての獄中生活が、死ぬより辛く、一番苦しい刑なのではないかと我々は思う」という意見もあった。

がしかし、
故意に殺人を犯した者に「更正の余地があるから死刑にしない」などという判決は、逆に考えたら複数人の命を残虐に奪っても反省の色さえ見せれば死刑は免れるんだという考えになるのではないか?

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