2月1日 (木)  人間生きていくのに必要なものとは何ぞや?

昨年の安倍首相らが公言した言葉でこんなものがあった。
「勝ち組と負け組」
おそらく「格差社会」なるものを現しているのだろう。
巷でもこの言葉を耳にする。

そもそも「格差社会」は、ず〜っと前(人間社会が出来た頃)からあったし、人間を勝ち負けで判断する方法も人により差はあるものの、心の中では皆が持っているもので、無くならないものだと思う・・・・。

井上陽水の曲に ミスコンテストという下のような歌詞がある

水着に着替えて 化粧には力を 会話を磨いて 微笑みを整え
全国から来た 美人の群れに 間もなく幕は 上がろうとしている
ファンファーレが鳴る レディース&ジェントルマンが観る
ミスコンテスト
大理石のような 壁紙の前で 無駄もなく並び 美しさを競う
黒いタキシード 蝶ネクタイの 頼り無さそうな 司会者が叫ぶ
ファンファーレが鳴る シャンデリア シャンデリアが揺れる
ミスコンテスト
厳正な審査 夢のコンテストは 誰がナンバーワン? 
順番を決める 封筒が届いた 審査委員長は 「難しかった」と言う
誰も観ていない 舞台の裏で 何も決めてない 掃除婦が働く
ファンファーレが鳴る 会場が固唾を飲む
ミスコンテスト
(僕にはミスコンを少々揶揄しているように思える)


以前、僕が考えた企画にも「美しい女性のコンテスト」がある。
勿論、容姿だけで優劣を競うのだが、年齢制限は無く「美脚」「美肌」「美尻」などとパーツ分けするように、それぞれが持つ「自慢」の部分を競うというものだ。

表情と体型だけで大まかに決める美人コンテストとは違い「そこだけ」の審査が求められるのだから、会場に段幕を掲げていなければ、傍目にはただの「一般女性の行列」にしか映らなかっただろうが出場者はかなりマジだったし、「うなじ美人コンテスト」などはかなり評判が良かった気がする・・・・。

「ミスコン」なんて人間が生きていくのには、「全く」と言っていいほど必要のないものかも知れないが、冒頭の格差社会のように、ある種の劣等感や優越感を「心の糧(かて)」として、少し感じながら生きて行くのが人には必要だとは思う。