3月22日 (水)  ルールがあるから成り立つものだ

様々なスポーツの世界大会が毎年どこかで行われているが、そのルールには世界基準が必ずあってそれがちゃんと守られている。
そのルールには、その都度変更されるものも多々あるが、それは皆がなるべく公平に競技されるため即座に改編されるもので、挑む者は必ず納得して参加しなければいけない。

国際大会において選ばれた出場者は何のためにベストを尽くすのか、金銭的な利益のため、国や周りの者のため、名誉、人気、好きだからと、その理由もまた様々である。

ここで、我々がよく耳にする「スポーツや民間レベルでは、国交がスムーズになされているのに政治では何故、上手く行かないのか」という言葉が出てくる。
政治やスポーツの他、あらゆる団体に必ず「派閥」が存在するが、国家間や国際的行事の上では、国対国になった以上その派閥は一時的に無視して行わなければならない。
理由は簡単、その国の内部の派閥など他の国にとっては全く無関係のものだからだ。

派閥やお国事情よりも、即興で改選されたそのルールに従わなければ出場は出来ない。
あの国内で独裁を誇る北朝鮮でさえも国際大会の場においては、むしろ他国よりルールやマナーを大切に守っている。

国連という機構が存在しながら、冷戦や実の戦争が終わらないのは、地位と財産ばかりに目が眩んでいる超わがままな国家代表者たちの勝手な「ルール無用の世界」に他ならない。