12月3日 (土)  血も涙も無い残酷さ・・・

嫌な事件報道が多い中、小学生の首を締め殺し、身体を折りたたんだまま段ボールに入れて放置するといった強烈に悲惨なニュースが流れている。
殺された女の子の身になって考えると想像を絶してしまう。さぞ怯えた事だろう。恐かった・・いや、本当に恐ろしかっただろうと思う。
首を締められ、薄れ行く意識の中で、幼い彼女はどんなに苦しみもがいたのか。やるせない思いに心から憤りと憎しみを感じた。
親の身になって考えると、とてつもなく辛く悲しい出来事に精神や神経が耐えられないのではないか?と思う。
警察の発表ではペルー人の男を容疑者に断定して逮捕したと報道が伝えられているが、何れにせよ殺した犯人には極刑を与えて貰いたい。しかも、出来るならば被害者の家族が思う通りの方法で、刑罰を執行をさせて欲しいものだ。

話しはかなり反れるが、ペルー人と言えば、数年前にひょんな事から、日系でペルー生まれの中学生と遭う羽目になった。
数十年前に日本からペルーへ移民して行った日本人夫婦の息子の一家が、また日本に逆戻りで帰って来たのだった。仕事を求めて日本へ来たのだから、そんなに裕福な暮らしはしておらず、日本語が全く喋れない日本人の父親とペルー人の母親を持ち、彼が5歳の頃に兄と家族と共にやって来た訳だから、当然その子たちが覚えた、つたない日本語で家族の通訳をしていた。
ある出来事のお陰で、その子の家族と会いに自宅マンションまで行って上がらせて貰った。
そう広くはなく、部屋数は少ないのだが十数人が立って食事をしたり会話を交わしていたので、何かのパーティーをしているように見えた。母親はやけに明るく陽気で、日本人が忘れ去ったような情熱が溢れるのを感じた。
そして奥の部屋で父親と対面。ペルー生まれでペルー育ち、純血の日本人だが殆ど日本語は話せない。当時は自動車工場に勤めていたと言う。お互いの息子たちのちょっとした不祥事の件での話し合いだったのだが、その日本語を話せない父親は、息子から事の内容を聞き、その息子に酷く激怒し落ちこんだ様子だった。「処理はこちらで全て済ませますから私と同行して下さい」という内容を伝えるだけっだったが、かなり時間がかかったのを憶えている。
その足で息子と父親を車に乗せ、書面上だけの手続きに向かった。現場でも言葉が全く通じない父親に、相手機関の担当者も「英語なら少しは分かるがスペイン語はねぇ・・」と最終的には、その息子の通訳だけで処理をしてしまう始末に終わった。
その子も今や二十歳を過ぎる成人になっているのだが当時からの話しを聞くと、その後に父親が急死、母親は違う男性とともに家を離れて出ていったままで、現在は自分と同じくつたない日本語を話していた兄夫婦と暮らしているらしい。
外国人はもとより日本人でさえ外見だけでその人柄や性質まで判断するのは到底無理だと、今も思う。このような犯罪を未然に防ぐことはかなり難しいことだと。
(これを書き上げる間に、また同一の小学生殺人事件の一報がニュースで流れてしまった・・・)