11月20日 (月)  面白いもの見つけた情報

西成区の愛隣地区は昭和41年までは釜ヶ崎と呼ばれていました。
昔の地名は西成郡今宮村字釜ヶ崎・・・
ここが木賃宿で暮らす日雇い労働者の町として定着したのは江戸時代は末期のこと、
そう、この釜ヶ崎〔愛隣地区)は景気の良し悪しによって昨日今日出来たようなスラム街ではなく、歴史に裏づけされた、あるべくして存在する町なのです。
女装をする男性のことを「オカマ」と呼ぶようになったのは、この町「釜ヶ崎」が語源になったとも言われています。
その昔・・生活が困った釜ヶ崎の肉体労働者は、最後の手段として、女装をし男娼となってお金を稼いだといわれています。
隣町にある飛田新地で女遊びをする男を横目で見ながら、お金のない労働者たちは、娼婦の代わりに安い男娼を買ったといわれています。「仕方ない・・・今日もカマ(釜ヶ崎)で我慢するか・・」と・・・・・

この釜ヶ崎が大きく変ったのはやはり1970年の大阪万博の年。
全国から大阪北摂地区開発のための労働者が集められ、今だかつてなかった賑わいを見せました。
その時期にこの町に集まった、20代男性が今、50代後半となり、明日の命の保障のないという状態に追い込まれているのです。
当時、肉体労働者は羽振りもよく、毎日稼いだお金を飲み屋や料亭(風俗営業店)に落としました、宵越しのかねは持たないというのが彼らのステータスでもあり、明日も働くというモチベーションをあげる方法でもあったのです・・・・・
不況の風は吹き・・・朝5時に並んでもほとんどの労働者が仕事にあぶれるという時代が訪れました。
最初はまじめに並んでいた労働者も、10日も仕事にあぶれるともう並ぶ気力も無くなります。
そのうち、何のたくわえもないまま年をとり、働けなくなってしまったのです。
こういった場末の町には人情があるといいます。
厳密に言うとそれは間違っています。
どこにでも人情はありますし、どちらかというと裕福な人たちが暮らす地域よりは人間関係は殺伐とし、他人にはかまってられないという人が多いのが事実だと思います。
しかし、死と直面する毎日を過ごす人たちの社会ではちょっとした人の情けがかなり重たく感じます。
毛布をプレゼントするだけで救える命があるのです。
人情の町、というより人情がなくては生きることさえままならない町・・・自業自得とののしり、軽蔑して横を通り過ぎる人もいれば、毎週木曜日の晩に毛布をもってホームレスに声をかけて回っているボランティアの会もあります。
これから冬・・・すぐ横にあるレジャー施設「フェスティバルゲート」(最近潰れましたが)にはクリ
スマスツリーの灯がともり、恋人たちが思い出の時間を過します。
そこから国道をはさんだ町ではたった一杯の炊き出しの雑炊にありつくために、100人以上の労働者がが行列を作っているのです。


「釜ヶ崎人情」(歌詞)

立ちんぼ人生味なもの 通天閣さえたちんぼさ
誰に遠慮がいるじゃなし じんわり待って出直そう
ここは天国 ここは天国釜ヶ崎

身の上話におちがつき ここまで落ちたと言うけれど 根性まるだし丸裸 義理も人情もドヤもある
ここは天国 ここは天国釜ヶ崎

命があったら死にはせぬ あくせくせんでものんびりと 七分五厘で生きられる 人はスラムというけれど
ここは天国 ここは天国釜ヶ崎


(この内容はここから引用させて頂きました
http://plaza.rakuten.co.jp/naniwakenji/diary/200412150000/)